残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

念仏

バカは死ななきゃ…

浄土の教え、念仏とは。今の私の理解は以下の通りです。 煩悩具足の私は、生きている間に煩悩を離れることは不可能です。そのため、我が名を称えるものは死後、必ず我が国「極楽浄土」へ生まれさせる、という阿弥陀仏の誓願を信じ、念仏を称える。私が煩悩か…

『親鸞』五木寛之

五木寛之さんの小説『親鸞』を初めて読んだのは四年ほど前です。色々感じるところはあり、前々から感想を書き留めておきたいと思ってきたのですが、なかなか書くのが難しく、結局これまで六回ほど読み返してしまいました。 書くのが難しい理由のひとつは、こ…

一本の糸 ~念仏をとなえる生活~

今私は、念仏をとなえる生活を送っています。その心は 本願を信じ念仏をまうさば仏になる(『歎異抄』第十二章) という『歎異抄』にある一節を、そのままいただいています。なぜ、その言葉をいただくのか。それは、やはり同じ『歎異抄』の一節、親鸞聖人の…

前回の記事「私とピアノ」を書いた後

つい先日書いた前回の記事で、私が約4年ぶりに楽器を手にしたことを書いたのですが、その後、改めて気が付いたこと、考えさせられたことがありました。 以前このブログで紹介した、阿満先生の本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)を最近また読み返して…

『『歎異抄』講義』阿満利麿

これまで度々記事に取り上げさせていただいている、阿満利麿先生の本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)について書いてみます。この本を手にしたのは、もう半年近く前です。すでに何度か読み返していて、読むたびに私に沢山の学びや気づきを与えてくれ…

最近の出来事から(その2 念仏の利益)

その1の続きです。 thinking-about.hatenablog.com ほんの少しでも、空しい一日で人生が終わらないように心がけたい。そう思い、今回の件について、自分の意見をこれ以上主張するのはやめようと思いました。そう思えるようになって、気持ちが落ち着いてくる…

最近の出来事から(その1 ふと感じた「妙な感覚」)

最近、少々心を悩ます出来事があり、それに関連して思ったことがあります。ちょっと長くなるので、その1、その2に分けてみました。 * * * 私は今、契約社員として働いています。業務内容は、いわゆるブルーカラーの仕事です。度々書いているように、私…

私は、生きたい

今日は2022年の大晦日です。大晦日だからといって、私にとって何か特別なことがあるわけでもなく、日々の生活の一日に過ぎません。とはいっても、やはりこの一年を振り返ってしまいます。その時ふと気がついたのですが、このブログを始めて三年が過ぎたので…

聴聞の日々に起こった迷い

私は今、時間が許す限り、法話や浄土の教えに関する講演を聞きに、つまり聴聞にいってます。このような聴聞生活を始めて、かれこれ3年になります(2022年12月現在)。 離婚と破産という出来事を経て、仕事や家庭、家と土地も失って、一人で今住む街に越して…

2022年報恩講を終えて ~「寂しさ」と共に生きる~

今年2022年の報恩講も終わりました。 報恩講とは親鸞聖人の命日である11月28日前後に行われる法要です。私が今回参拝した京都の東本願寺(真宗大谷派)や佛光寺では、11月21日から28日まで連日法要や法話が行われます。ちなみに報恩講の期日は宗派や寺院によっ…

阿弥陀仏の物語を信じること

本願を信じ念仏をまうさば仏になる 『歎異抄』の第十二章に書かれている言葉です。学問をしなければ浄土に生まれることは難しい、という説に対して、著者唯円は、阿弥陀仏の本願を信じて念仏すれば浄土に生まれる、ということを知る以外に、何の学問が必要な…

私の苦しみ

私がこのブログを始めたのは、このブログのタイトルどおり、それまでの生き方で一生を終えたくない、という思いからでした。 最近の記事(といってもあまり更新していないのですが…)で度々触れていますが、私は数年前に離婚や破産という経験をしました。その…

頑張らなくていい~競争心からの解放~

浄土の教えを知り、阿弥陀仏の誓願の物語を受け入れて、念仏の暮らしに入ってよかったと思えることはいくつかあります。その中の一つに、「頑張らなくていい」ということがあります。 それだけ書くと、努力することを放棄して、ダラダラと毎日を送るように受…

阿満利麿先生の言葉

仏教の教えに触れていくと、善知識という存在がでてきます。善知識とは、仏道に導いてくれる人といえばいいでしょうか。いわゆる「教祖」とは違い、仏道を歩む先輩のようなイメージだと思います。 私は今、念仏の生活を過ごしているのですが、私にとっての善…

自分の正しさ~浄土真宗大谷派「不戦決議」に思う~

浄土の教えに関する法話を聞く中で、浄土真宗大谷派の「不戦決議」を知りました。この「不戦決議」は1975年、戦後50年にあたり浄土真宗大谷派の宗会で採択されたものです。内容は文字通り、先の大戦に際して宗門が犯した罪を懺悔して、不戦を誓うものです。…

怒りの心

仏教では、「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」という三つの煩悩を「三毒」として、最も重いものにあげています。この「三毒」についての詳細は、私は仏教の専門家ではないので書きませんが、その中の「瞋」について、特に思うところがあります。 「瞋」とは…

阿満利麿先生の講演会に参加して

先日、京都の法然院で、阿満利麿先生の講演会がありました。阿満先生の書かれた『選択本願念仏集 法然の教え』(阿満利麿=訳・解説 角川ソフィア文庫)を題材にした内容です。この2年ほど、新型コロナの影響で、阿満先生の講演も無くなり、久しぶりにお話を…

難思議を帰命せよ

前回の記事で私は、親鸞聖人の『和讃』にある「難思議を帰命せよ」という文言に触れました。それに関連して、今の私の考えをまとめてみたいと思います。 今私は、念仏を唱える生活を続けています。このブログの表題、残された人生を考えたとき、なぜ私は「念…