残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

「心を守る」小室圭さん、眞子さんの結婚に思ったこと

久しぶりに記事を書きます。
それも、このブログにしては本当に珍しい、時事ネタ、それも皇室に関しての内容です。
でも、今回の小室圭さんと眞子さんの結婚会見を動画で見て、その後の報道も見て、どうしても書き留めておきたいことがいくつかあり、久々に記事を書くことにしました。

ちなみに、私は何年もテレビを持つこともなく、週刊誌も読むこともなかったのです。ニュースは以前は新聞、今は新聞をやめてネットのみでチェックしています。
だから、この小室さんのお母さんの問題も、知ってはいたものの、詳しい内容は分からず、何が問題とされていて、なぜ未だに解決されずにいるのかは、ほとんどわかりません。
そもそも、その手の話題には興味はなかったのです。

その私でも、さすがに今回の結婚は予想していたとはいえ驚きではありました。
すごいな、強行するんだ、大変な道を選んだな、と思いました。そこで会見の映像を見たのです。

私はその二人の姿をみて、率直に素晴らしい、素敵だな、と思いました。そして同じ男性だからでしょうか、小室圭さんに対して、うらやましさも覚えました。
これは「嫉妬」とは違って、「憧れ」「尊敬」に近いものです。
小室さんほどではなくても、自分も頑張れば、辛抱すれば、素敵な結婚ができたかもしれなかった。海外で活躍できるような仕事につけたかもしれなかった。
もちろんそれにはたくさんの努力が必要で、苦しいことを乗り越えなければいけないのでしょう。それができなかったのが私ですが、それゆえに小室さんに対して「うらやましい」という思いが強く湧き上がるのです。

結婚ひとつとっても、私は過去二度も結婚に失敗しています。つまりバツ2というわけです。
今、私の失敗した結婚を振り返ると、たくさんの原因が思い起こされるのですが、結局は私の単なる「欲」に発した結婚であった、だから崩壊していったのだ、と思うのです。
あの二人は約三年、離れて生活をしていました。
普通、結婚前であれば、常に一緒にいたいはずです。品のない言い方を許してもらえれば、暇さえあれば会って、ひっついて、チュッチュしていたいはずです。少なくとも私はそうでした。

それをしない、できないにも関わらず、お互いの気持ちが変わらずに今に至ったということは、素晴らしいことです。そしてその会うことのできない三年間、ひたすら将来に向けて努力を続けてきたのでしょう。
それに比べて私は真逆でした。結婚前は、暇さえあれば…という状態で、将来に関するお互いの考えを真剣に話すこともなく、結婚後のことなど大して考えていませんでした。将来へ向けて、特に努力もしませんでした。そして欲望の赴くままに、楽な方へを流れていったのです。失敗して当然の結婚だったと思います。
もちろん小室さんたちも、どうなるかわかりません。この世に絶対はないのですから。しかし私の過去の結婚に比べると、けた違いに強い何かを感じます。

そして、私が今回の会見で一番印象に残った発言、「ああ、眞子さんってこんなことまで考えていたんだ」と驚いた発言があります。それを書き留めておきたくて、今回この記事を書いたのです。
それは、会見の最後、眞子さんの言葉です。

今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。

この
「心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている」
という表現に衝撃を受けました。
皇族というと「箱の中の鳥」であり、世間のことなど大して知らないだろう、と私は思っていました。
確かに一般人のような、例えばお金に関わる世俗的な苦労はないかもしれません。ですが、眞子さんはしっかりと、この世の中で苦しむ人たちを、自身と同じ仲間と認識していたのです。

この日本の中には、この言葉を聞いて「これは私のことだ」と思える人たちが沢山いると思います。
そして、そういう力をなくして、もう進めないのではないかと恐れている人たちに対して、「私もそうなんだ」というメッセージを投げかけているように感じました。
眞子さんは度々「心を守る」という表現を使ってきました。果たしてこれはどういう意味なのか、なかなか別の言葉で説明するのは難しい気もします。
ですが、今の世の中で多くの人が感じ、求めていることではないでしょうか。
「心を守る」
重い表現だと思います。

この部分の発言は、その後報道された記事やコメントでは、全くと言っていいほど触れられていません。私が目に触れたのは唯一、北原みのりさんのAERAdot.での記事だけでした。
しかし、私にとっては一番印象に残る、そして考えなければいけない言葉に思えたのです。