随分長い間、更新をしないできましたが、最近ある出来事があり、それについて久しぶりに書いてみたいと思います。
読み方によっては自慢話っぽくなってしまうかもしれません。そういうつもりはないのですが…。
とにかく、起こった出来事と私が感じたことを書いてみたいと思います。
* * *
先日スーパーマーケットに食材を買いに行きました。
色々買う中で、ブロッコリーを1株、カゴに入れたのです。そしてレジに向かいました。
近頃、多くの店でバーコードを自分でスキャンするセルフレジが導入されていますが、そのスーパーもそうでした。私も最近はセルフレジを利用することのほうが多いので、セルフレジに向かったのです。
その時の私は、趣味の登山からの帰りで、かなり疲れていました。ボーっとしながらも会計を済ませ、帰宅しました。
帰宅してから、登山用具の片付けや、買ったものを冷蔵庫に納めて、少し落ち着いてから、スマホの家計簿アプリに、先程の買い物の内容を入力しようとしたのです。
私は、経済的にもゆとりがある生活をしているわけではないので、普段から家計簿をつけるようにしています。
すると、入力していて大変なことに気がついたのです。
ブロッコリーはセルフレジでは個数を手打ちで入力するようになっていました。バーコードが付いているものは、スキャンすればいいのですが、バラ売りしている野菜などは、個数を自分で入力するのです。
そのブロッコリーの個数がなんと、11個で入力してあったのです。
しかも、そのとき買ったブロッコリーは、いつもより高めの値段がついていて、260円くらいでした。つまりブロッコリー一株に2900円近く払ってしまったのです。支払った全額は約5000円、つまり本来なら半額以下の支払額だったのです。
普通に考えれば、自分が買い物した内容と支払額があまりにも違うので、最後の支払時に「おかしいな…」と気がついたと思います。ですが、疲れていてボーっとしていたからでしょう、全く気が付かずに会計を済ませて帰宅してしまったのです。
しかも、買ったものを冷蔵庫に納めていたら、ブロッコリーはまだ残りが冷蔵庫にある状態でした。つまり、今日買う必要のないものを買ってしまったうえに、倍近いお金を払うハメになったのです。
かなりショックでした。
スーパーに引き返してレシートを見せ、事情を説明して返金してもらおうか、と思いました。ですが、本当にブロッコリーは1株しか買わなかったことをどう証明するのでしょうか。こちらが言うことを、すぐに信用してくれるのでしょうか。
その上、その日は登山帰りだったため、普段はあまり使わない自宅から遠いスーパーで買い物をしたのです。
登山帰りで疲れてしまって、帰宅して落ち着いたところで、返金してくれるかどうかも分からないのに、また遠いスーパーまで出向くのか…と思うと、気が重くなりました。
かといって、このまま諦めるのは、あまりにも残念すぎる。余分に払ってしまったお金があれば、あれも買えた、これも買えたじゃないか、と思うとくやしくてなりません。
自分のアホさ加減と、失ったお金を思うと気分が落ち込み、かといってスーパーまで行く気も起きず、しばしうなだれている状態でした。
* * *
ところが、ふと、ある思いが私の中で起きたのです。
私が損をしたってことは、誰かが得をしたんだ…
つまり、誰かの役にはたったんだ。
そう思えてきたのです。
そうすることで不思議なことに、気持ちが明るくなり、落ち着いてきたのです。
そうだそうだ、これもきっと誰かの役にたっているんだ、いいじゃないか。
実際に、誰の役に立つのかはわかりません。そのスーパーで今日の売上が、ブロッコリー10株分多かったからといって、スーパーの業績に影響が出るわけないですし、そこで働いてる人たちの給与に反映されるはずもありません。
だけど、巡り巡って、気が付かないくらいであっても、どこかで誰かが得をしていると思うのです。
こんなこと書くと、まるで私が「自分はいい人だ」と自慢しているように受け取られるかもしれません。
そういうわけではないのです。
それは、誰かの役にたったということよりまず、そう思えたことによって自分の気持ちが救われたことが、私にとって大きなことなのです。
かつての私であったら、いつまでもグジグジを後悔して、損したことを悔しがって、少なくともその日は夜まで落ち込んだ気分で過ごしたことと思います。
いえ、次の日になって思い返しても、その度に嫌な気分になったと思うのです。
誰かが得をしているからいいや…。
そういう思いが湧いてきたのは、やはり仏法を聞き、念仏をとなえる生活を送っているからだと感じます。
念仏の生活に入る前の私であれば、今回のような思いには至らなかったでしょう。そしていつまでも、嫌な気分にとらわれていたはずです。
そして、これも阿弥陀様の救いなのかも、と思うのです。
* * *
さて、しかし、果たして私は本当に、以前の私から変わったのでしょうか。
そうとも言い切れないところが悲しいところです。
例えばこれがブロッコリーではなく、1億円が当たった宝くじを落としてしまったとしたら、どうでしょう。
「誰かが得をするからいい」などと思って、心安らかでいられるでしょうか。
そうは思えません。
きっと、体に鞭打って血マナコになって探し、見つからなければ大きな後悔に襲われて、長い間立ち直れないと思います。
煩悩具足の凡夫であることに変わりはない、ということです。
でも、少しだけマシになって、自分の苦しみからも少しだけ、本当に少しだけれど解放されてきているのかな、とも思います。