残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

京アニ放火殺人事件に思う

京都アニメーション放火殺人事件の青葉被告に死刑判決が言い渡されました。(2024年1月25日)

やはりというか、当然だろうという思いはあります。あれほどの凄惨な事件なのですから。
しかし、この事件は私にとっても、とても大きなできごとでした。
それは、この事件以後「私も青葉被告と同じなのだ」という思いが頭から離れないからです。

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それには根拠があります。
この事件が起きたとき、私の妻は子供を連れて家を出て、離婚の協議中でした。そして妻と共同で行っていた事業も行き詰まり、多額の負債を抱えて、破産を回避するために無我夢中の状態でした。(結局はその後、離婚、破産をして、家庭も財産も仕事も、全て失うことになったのですが)

私からすると、妻が私を裏切って子供を連れて出ていった、という思いがあり、悲しさや寂しさと同時に、怒りの気持ちもありました。
今にして思うと、離婚理由や、経済的に追いつめられた大きな原因は私にあったのでしょう。もっとも、妻の側にも問題はあったと思うのですが、結局、何が、そして誰が原因でそうなったのか、今でも私には分かりません。
そして、やはり当時の私は、妻に対しての怒りを抑えることができないでいたのです。

そんな時に、京アニ事件が起きました。
私は、犯人の起こした恐ろしい凶行に、恐怖と嫌悪感を覚えました。
ですが同時に、私も今、前妻が子供たちと住んでいる所にガソリンを撒いたらどうなるだろうか…という考えが起こってきたのです。

具体的な段取りを考えたわけでも、何か準備を始めたわけでもありません。ただ頭の中に漠然と、自分が放火殺人を行うイメージが湧き上がってきたのです。

恐ろしいことです。
私は、そういうイメージが、京アニ事件に触発されるように浮かんでくること自体に、恐れを感じました。
そして自分が放火殺人を行う、その恐ろしいイメージが湧き上がってくるたびに、頭の中で打ち消し、別のことを考えようとしました。
ですが、どうしても打ち消せない時、実際に実行したらいったいどういう結果を引き起こすか考えてみたのです。

そうすると、浮かんできたのは、私の身内のことでした。
私には姉がいて、家庭を持っています。その子供、つまり私の姪は、すでに成人して仕事についていますが、まだ独身でした。特に、その姪のことがまず浮かびました。
私がそんな犯罪を犯したら、まず姪は結婚できないでしょう。姉夫婦も含めてみんな、仕事もやめなければいけないかもしれません。今住んでいる所からも転居しなければならなくなり、もしかしたら、以後、本名は名乗れなくなるかもしれない…。
そういうことが想像されて、私は絶対に、そんな犯罪は犯すことはできない、と思いました。

私は具体的に放火殺人を企てたわけではありません。ですが、頭にそういうイメージが浮かんでくることを止められませんでした。
そして「そんなこと、できるわけがない。してはいけない」と思わせてくれた一番の原因は、姪、そしてその親である私の姉と義兄の存在でした。

報道によると、青葉被告は家族環境にも恵まれず、孤独な日々を過ごしていたと聞きます。
もし彼に、「自分がこんなことしたら、あの人は…」と思える存在が一人でもいたら、踏みとどまった気がするのです。
裁判では、被害者に家族がいたことは思いが及ばなかったと言っていたようですが、青葉被告自身に大切に思う人がいて、その人に被害が及ぶことを考えれば、ブレーキを踏むことはできたのではないかと思うのです。

「いや、彼にはそういう想像力すらなかっただろう」という指摘もあるかもしれません。
でも、果たしてそうでしょうか。やはり、そういう存在がいなかったことが、彼にブレーキを踏ませなかった、大きな原因の一つに思えるのです。
そして、私にはそういう存在がいた…。

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私は思うのです。
青葉被告と私の違いはそれだけなのかもしれない。
そして、そういう存在がいたのは、私が良心的な人間だったからではない。努力して、頑張ってきたからではない。たまたまです。
たまたま、優しい姉に恵まれ、その姉が家庭を持って、子供を立派に育ててきた。そういう環境に、私は偶然、生まれてきただけなのです。

そうです。
私も青葉被告と同じなのです。何かあれば怒りに駆られて、人を殺めるイメージに取り付かれてしまう、そういう人間だったのです。

わがこゝろのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべしと
歎異抄』第十三章

この言葉が、我が身のことと知らされた出来事が、京アニ事件でした。

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この事件を通して今、二つのことが私の中に問題として生まれています。
一つは死刑制度のこと。
もう一つは、「彼」と「私」を隔てるものは何なのか。「私」が「彼」になっていた可能性もあるのに、それでも私は「私」であり、「彼」ではない。それはどういうことなのか。

意味合いは全く違いますが、この二つの問題が、私に突きつけられました。
今はまだ、考えがまとまりません。
考えがまとまったときには、また書き留めておきたいと思います。

バカは死ななきゃ…

浄土の教え、念仏とは。今の私の理解は以下の通りです。

煩悩具足の私は、生きている間に煩悩を離れることは不可能です。そのため、我が名を称えるものは死後、必ず我が国「極楽浄土」へ生まれさせる、という阿弥陀仏誓願を信じ、念仏を称える。私が煩悩から離れるために残された道は、それしかありません。

なぜ、煩悩から離れたいのか、それはその煩悩が私自身を苦しめているからだ、と身に染みて感じたからです。
煩悩とは、ただ単なる「欲望」ではないのでしょう。自分を「我(われ)」と感じている、その意識そのものではないかと思います。
それがあるがゆえに、欲望を起こすことはもちろん、他人と比較して妬んだり苦しんだり、思い通りにならないことに怒ったり、称賛されたい気持ちに駆られたり、挙句の果てには自分で自分を追いつめ、苦しめ、実生活でも自分を窮地に追い込んできたのです。

ではなぜ、今生では煩悩を離れられないのか。
それは今書いたように、「煩悩」とは、自分を「我」と感じていることが根本原因なんだと思います。その意識が生きているうちに無くなるはずがありません。

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そうして私は今、念仏の生活を送っているのですが、浄土の教えを知った最初のころから、今までずっと、思っていたことがあるのです。
浄土の教えが説いていることは、結局
「バカは死ななきゃ治らない」
ということではないのか。

そのような表現で浄土の教えについて説く人に出会ったことはありません。
ですが、ずっと私は心の片隅で、浄土の教えとは、結局「バカは死ななきゃ…」ということではないか、と思い続けてきたのです。

確かにそうなのかもしれません。だから死後、極楽浄土への往生を願うのでしょう。
ですが「バカは死ななきゃ…」という言葉を思い浮かべると、事実かもしれないけれども、だからこそ私は念仏をとなえるのだけれども、元気が出てこないのです。
「そりゃ、そのとおりかもしれないけど…」と、思わずうなだれてしまうのです。そう言われてしまったら、身も蓋もない、とでも言えばいいのでしょうか、なんともいえず悲しく、寂しい気持ちになってしまいます。たとえ、阿弥陀様の誓願によるすくいがあるにしても、です。

なぜそう言われると、元気を無くし、悲しい気持ちになってしまうのでしょう。
言い方自体が「バカ」という表現も含めて、乱暴だからかもしれません。「バカ」に対して思いやりのない表現ではあります。

ですが、もっと根本的な理由として、やはり私は、生きているうちにバカを治したい、と思っているからではないでしょうか。生きているうちに煩悩を滅したい、そういう思いが、やはりあるからだと思います。

頭では、生きているうちに「バカ」を治す、つまり煩悩を滅するなど不可能だと分かります。煩悩は「私」そのものだ、とこれまで聞いてきた説法や、読んできた本でも知らされて、十分納得しています。
ですが、心の奥底では、やはり今生で煩悩を滅して、苦しみから逃れたい、という思いがあるのでしょう。

ですが、そういう思いから離れられないのも仕方ないことなのかもしれません。それが、私の現実的な思いなのです。そして考えていくうちに、最終的に阿弥陀仏誓願を頼むことに行きつくのです。
話は堂々巡りの様相を呈してきました。

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悲しいけれど、やっぱり「バカは死ななきゃ…」なのか、と再び考えたときに、私が勝手に自分の善知識と仰いでいる阿満利麿先生の言葉が思い浮かびました。

念仏によって、死後、私たちは仏になります。仏とは、人間の完成体のことでしょう。仏教では、人間は未完成だと考えています。その理由は、人間には智慧がなさすぎる点にあります。その智慧の完成を目指すのが仏教ですが、「阿弥陀仏の物語」は、その完成は死後のこととしています。なぜ死後なのか。それは生きている間は煩悩がはたらいて智慧の完成を妨げるからです。しかし、死後が大事なのではありません。生きている間に智慧の完成に至る道を歩むことに意義があるのです。念仏のたびに、智慧の完成への道を遅々としてではありますが、確実に歩んでいるのです。そして、肉体の死は、念仏という仏道のなかの通過点でしかないのです。死が問題なのではなく、智慧の完成につながる道を歩むことに意味があるのです。

『『歎異抄』講義』 阿満利麿=著 ちくま学芸文庫(以下同じ)


阿満先生は、講演や本の中で、我々は念仏によって仏道を歩んでいく、仏になるのは死後のことだけれども、少しずつでも念仏によって仏道を歩んでいるのだ、と繰り返し話していました。

また、こうも書いています。

浄土仏教は、人間を徹底的に否定することが前提となって生まれてきている宗教なので、否定の段階で止まったら、あきらめ論か運命論で終わってしまいます。しかし、絶望のなかで阿弥陀仏の本願と出遇うことによっていわば再生してくる。肯定の暮らしが始まるのです。その道は曇天でしかありませんが、暗黒ではありません。そこが浄土仏教の大きな特徴です。

「曇天の仏道」はいつも煩悩によって真理が見えない曇りのような状態で生きていくしかありません。曇天でしかありませんが、曇天と暗闇の差はものすごい違いです。暗闇から解放されたことはすごいことです。念仏をしないと曇天という感覚は生まれてきません。

念仏を一声称えたからといって、快晴のような心境になるのはおかしな話です。自分の煩悩の深さを思えば、曇天の仏道であっても、すごいことが生じているのだと思います。

宗教に触れると、晴天の道を歩んでいく、と思う人がいるけれども、そうではない、曇天の中をいくのだ。だけれども、暗闇と曇天では大変な違いがある、と阿満先生は繰り返し話します。

「バカは死ななきゃ…」という言葉にうなずきつつ、悲しい気持ちになってしまうのも、煩悩具足のわが身ゆえなのでしょう。
だけど、それこそが曇天の仏道を歩み、ゆっくりと一歩一歩、苦しみから抜け出しつつある姿なのかもしれません。

南無阿弥陀仏

『親鸞』五木寛之

五木寛之さんの小説『親鸞』を初めて読んだのは四年ほど前です。
色々感じるところはあり、前々から感想を書き留めておきたいと思ってきたのですが、なかなか書くのが難しく、結局これまで六回ほど読み返してしまいました。

書くのが難しい理由のひとつは、この本が実に多彩な側面を持ち、様々な要素を含んでいることにあると思います。
つまり、色々な読み方ができるのです。

例えば、エンターテイメント小説として、冒険やアクションシーンを楽しむことができます。一方で、歴史小説として、舞台となった時代の風俗や人々の生活を知ることができます。そして、宗教を扱った本として、人の内面を深く掘り下げていくところもあります。

そのように多彩な面を持ち、様々な読み方ができるのですが、まず頭においておくべきことは、親鸞聖人の詳細で正確な伝記ではない、ということです。もっとも、親鸞聖人に関する記録はそれほど多くは残されていないらしいので、いずれにしても著者の創造力に委ねられるところは多くなるのでしょう。
五木さん自身、この作品について、あとがきで「あくまで俗世間に流布する作り話のたぐいにすぎない」と書いているように、創作の比重は大きいと思います。(それにしても素晴らしい「作り話」だと思いますが)

ですが、著者による創作の部分があるにしても、その中に通じている念仏の教えに対しての内容は、大変考えさせられました。
ひとつの大きなテーマとしては、「悪」の問題があるでしょう。
「悪」の象徴として、そして親鸞の影の存在のように、黒面法師という人物が何度か現れます。黒面法師は親鸞に、自分は十悪五逆の悪人、その悪人が本当に本願によって、すくわれるのか、そんなはずはないし、そんなことがあってはならない、と繰り返し迫ります。
また、その他の登場人物を通しても、自身の罪を心から懺悔できない「不幸な人間」のすくいについて度々問いかけられます。

例えば次のような、親鸞に問いかける弟子の言葉があります。

世の中には、至心に懺悔して、わが罪を悔いることができない不幸な人間がいるような気がしてなりません。口先で後悔しても、心の底から懺悔する思いがわいてこないのです。

また次のような、親鸞の弟子同志のやりとりもあります。

「では、あの黒面法師はどうなのです。十悪五逆の真の悪人たるあの男は?」
親鸞はすぐには答えなかった。横から真仏がひとりごとのように低い声でいった。
「おのれの悪を自覚し、ふかく懺悔して念仏に帰すれば、すくわれるのではあるまいか」
真仏の言葉に、頼重房ははげしく首をふった。
「それは違うでしょう。おのれの悪を自覚して、さらにその上、ふかく懺悔するなどというのは常人のこと。最後の最後まで悪を反省せず、念仏にも耳をかさない極悪人こそ、本当にあわれな者ではありませんか。そしてこの世でもっともあわれな者からすくう、というのが阿弥陀さまの悲願ではないのですか」

小説の中の親鸞は、どのような者であっても、念仏を唱えればすくわれる、と言い続け、念仏を信じない者のすくいについても答えています。
ですが、小説として、懺悔することもしない、できない者もすくわれた、という結末は訪れません。

おそらくこれは、著者である五木さん自身が今も問い続けている問題であり、この問いかけは五木さん自身についてのことなのかもしれません。
私はこれまで五木さんの本を読んできて、五木さん自身から強く複雑な「悪」の自覚を感じるのです。ことに、かなり前に記事にした『人間の運命』を読むと感じます。ここまで踏み込んで自分自身の罪について考察した作家は、なかなかいないのではないでしょうか。

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その五木さん自身の問いかけが、「悪」の自覚なき者のすくいが成立するのだろうか、なのかもしれません。

私が思うに、自分は十悪五逆の極悪人と自覚した時点で、懺悔はしていなくても真の極悪人から一歩抜き出しているのではないでしょうか。
では、自覚すらできない人間はどうなるのか…。
私なりに出来る限り考えてみるのですが、その問題に関しての明確な答えは、まだ見つかりません。また、果たして、どのような状態が、「心の底からの懺悔」なのかも分かりません。これは、私に答えが出せるような簡単な問題ではないのかもしれません。

このように、「悪」の問題、そのすくい、そして「宗教」について、深い問いかけが含まれているのですが、一方で、純粋に人間ドラマとして、心を揺さぶられるシーンも数多くあります。

特に私の印象に残ったシーンは、ラスト近く、親鸞の臨終に近い、雪の日の描写です。
これまで様々な小説を読んできましたが、死が間近である一人の人間を、これほど切なく、悲しく、美しく描写した小説は記憶にありません。
おそらく著者は、この小説を書きながら、まさに親鸞聖人とともに人生を歩んだのでしょう。だからこそ、このような心を揺さぶられるエンディングが描けたのだと思います。

一本の糸 ~念仏をとなえる生活~

今私は、念仏をとなえる生活を送っています。
その心は

本願を信じ念仏をまうさば仏になる(『歎異抄』第十二章)

という『歎異抄』にある一節を、そのままいただいています。
なぜ、その言葉をいただくのか。それは、やはり同じ『歎異抄』の一節、親鸞聖人の語った言葉

いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。(『歎異抄』第二章)

と感じたからです。

私は親鸞聖人のように、「いづれの行」を行ってきたわけではありません。
ただ単に、充実した人生を送ろう、そして周りの人とともに幸せを手に入れよう、と私なりに精一杯考え、行動して、これまで生きてきただけです。
ですが、結果は虚しいことばかりで、むしろ私自身はもちろん、周りの人をも困らせ、苦しめてきたのです。

では、今は何の疑いもなく、念仏の生活を送っているのでしょうか。
疑い、というより、私自身について分からないことは、よくあります。

例えば、私は本当に阿弥陀仏誓願を信じているのか、先に書いた「本願を信じ念仏をまうさば仏になる」という言葉を、本気で信じているのか、ふと疑問に思うことがあります。
念仏の暮らしの中では疑問も起きてくるものだ、と、私が勝手に私の善知識と思っている阿満利麿先生は言ってます。阿満先生は度々、誓願に対しての疑問は凡夫である限り、なかなか消えることはないのだと、著書や講演で触れています。

ですが、自分のことなのに、その自分自身が、阿弥陀仏誓願を信じているのか、信じていないのか分からないなんて、おかしな話です。
信じているから念仏をしているはずです。ですが、「これは本当に信じているということなのだろうか」という疑問が、なかなか頭の片隅から離れません。

南無阿弥陀仏」などと称えて、殊勝な念仏者ぶっているだけではないのか。そうすることで、「真人間」にでもなったつもりなだけではないのか。聴聞に通ったりしているけれど、なにかいいことでもしてる気になっているのではないか。実際は、相変わらず適当な生き方しかしていないではないか。

しかし、念仏は私の行ではない、私の「手柄」ではないのです。

念仏は行者のために非行・非善なり。(『歎異抄』第八章)

それが分かっていて念仏をしているならば、私は殊勝な念仏者ぶっているわけではないのかもしれません。
ですが、本当のところは、やはり分かりません。こんなこと書いていること自体、何か自分に対しての言い訳をしている気もします。

それが煩悩にまみれた凡夫の姿、今の私の姿なのだ、と考えて納得しようとしても、その次の瞬間には、いや、自分は「煩悩」や「凡夫」とかいうもっともらしい言葉を使って、また自分を正当化しようとしたり、格好つけたりしているのではないか、と感じるのです。

法然上人の弟子に耳四郎という元盗賊がいたそうです。
ある日の夜中、耳四郎はたまたま、法然上人が一人念仏をしているのを聞きました。しかし、誰かがいる気配を感じたのか、法然上人は念仏をやめてしまいました。
後日、法然上人は耳四郎に、以前夜中に念仏をとなえていたこと、それを耳四郎が聞いたことに気が付いたことを話したのです。あの夜の念仏こそ往生の確信が生まれる念仏なのだ、人目を気にして飾る心を捨てて真実の心でとなえる念仏なのだ、と言ったそうです。(『法然入門』阿満利麿=著 ちくま新書 の内容を参照にさせていただきました)

しかし私の場合は、もっと根が深いのかもしれません。
一人、部屋で念仏をとなえているときも、「自分はいいことをしている」というような心が、全くなくなっているとは言い切れないのです。何か「結構なことをしている」、そんな気持ちになっている自分がいる気がしてならないのです。

では、いっそのこと念仏などやめたほうがいいのでしょうか。
それでは、私が苦しみから抜け出る方法がなくなってしまいます。
もとに戻りますが、私は

とても地獄は一定すみかぞかし

なのです。
これは間違いありません。これまでの私は怒りや不安に心をかき乱され、苦しんできたのです。このままの状態で人生を終えることはできない、そういう思いから、念仏の生活に入ったのです。

「念仏をとなえる」という一つの行為をとっても、このような様々な思いが湧きおこります。自分の中で、反問を繰り返していくと、本当の私の考えや心が分からなくなります。
おかしな話です。自分の心や行動なのに、自分では、一体本当の自分がどこにいるのか分からないのです。

私のあらゆる心や行動が不確かに思える中、ただ一つ残された確かな行い、それが念仏をとなえることなのでしょう。
真実の心でとなえているのか分かりません。そもそも、阿弥陀仏の本願を本当に私は信じているのかも不確かです。
ですが「念仏をとなえる」という、わずか一本の糸が残されているから、それにつなぎ留められて、私は「自分には、まだ希望がある」と感じられる気がします。
一本の糸、それは、とてつもなく強い糸なのかもしれません。
歎異抄』の結文が思い起こされます。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに、たゞ念仏のみぞまことにておわします(『歎異抄』結文)

 

映画『福田村事件』を見て

映画『福田村事件』を見ました。
まず強く感じたことは
「このような映画が、まだまだ上映できる日本でよかった」
ということでした。

映画自体は、大変衝撃的で、考えさせられる内容でした。
ネットで調べてもらえれば事件の概要や、映画の情報もすぐに見つかるので、ここで色々書くつもりはありません。
ただ、大々的に宣伝されている映画ではないので、一人でも多くの人に見てもらいたく、全く力にはならないとは思うのですが、このブログでも取り上げさせてもらいます。

私がこの映画を知ったのは真宗教団連合が特別協力ということからです。そして実際に足を運んで見てみようと思ったのは、森達也監督のインタビュー記事を見たからでした。
森監督は、例えばドイツと比較しても、日本の戦争に関するメモリアルは、広島・長崎の被爆のような被害者としての内容が多く、加害者としてのメモリアルは少ない、と指摘していました。
この発言には、共感するものがありました。そして、このような発言を、今現在、堂々と行う、この森達也という監督の作品を見てみたいと思ったからです。

そして、内容は予想以上のインパクトでした。
上映が終わったあと、劇場のあちらこちらから拍手が湧き上がりました。こんな体験も初めてでした。

そして、冒頭に書いたように「このような映画が、まだまだ上映できる日本でよかった」と感じたのですが、同時に、この先はたして、このような映画が上映できる世の中であってくれるのだろうか、という不安も起こりました。

映画を見た後、YouTube上で、舞台挨拶の様子も見ました。監督自身、最初に企画が動き出した時に感じたキャスティングの危惧について、こう述べています。

どう考えても反日映画と批判され、上映中止運動が起きて、劇場どこもやってくれないということになったら、俳優には何もメリットがない

確かに、今の世の風潮からすれば、このような映画は、「左寄り」「反日」の言葉で非難される可能性は、十分にあったと思います。それでも、この映画に意義を感じて作り上げた監督、俳優陣、その他の関わった人たちの想いと勇気にこそ、学ぶべきことがあると思います。

少し政治的な話になりますが、例えば韓国での従軍慰安婦問題にしても、韓国側の対応にも、正直私は問題を感じてしまいます。また、強制ではなかったという意見もあり、どこまでが事実かはっきりしない点もあるかと思います。
ですが、実際に軍隊を差し向けて、その国に乗り込んでいったのは事実です。そのことをまず置き去りにしてはいけません。
これはとても単純な話で、どんな理由であれ、誰が他国に入り込んでいったのか、それがまずスタートなはずです。そもそもそれがなければ、従軍慰安婦問題も起きなかったと思います。これは「左寄り」「右寄り」「反日」「嫌韓」の話ではありません。

繰り返しますが、このような映画が作られ、上映できる世の中であってよかったと思いますし、ちょっとした何かがあれば、このような映画は排除される世の中になってしまうとも思います。
では私に何ができるのでしょうか。そう思い、まずはこのブログで紹介させてもらいました。この記事をアップした時点では、すでに見ることのできる劇場は限られているとは思いますが、ぜひ見てもらいたい映画です。

なお、舞台挨拶の様子ものせておきます。


www.youtube.com

欲生我国

無量寿経』には阿弥陀様の本願が書かれていて、その第十八願に、私たちを阿弥陀様の国、極楽浄土へ生まれさせるための願いが書かれています。
そこには、念仏が私たちを極楽浄土へ生まれさせる根拠になる、こういう記述があります。

十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
<読下し>
十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至十念せん

(読下しは『浄土三部経本願寺出版社 仏説無量寿経 上巻より)

この中の「欲生我国」について、私は単純に、わが国(極楽浄土)へ生まれたいと願いなさい、ということだと受け取っていました。
事実そう書いてあるので、その捉え方は間違っている訳ではないと思うのですが、最近、少し違う捉え方をするようになりました。
この部分が、ただ単に極楽浄土に「行きたい」「生まれたい」という願望を指しているだけではないのでは、と思うようになったのです。

*      *      *

阿弥陀様は、分け隔てなく、誰に対しても平等に救いの手を差し伸べてくれます。
また、阿弥陀様の建立した極楽浄土にも、分け隔てや差別は存在しません。
この「平等」ということが、阿弥陀仏の慈悲の要であり、だからこそ私も必ず救われると確信できるのです。

ですが近頃、思いました。
はたして、私自身は「平等」を求めているのだろうか。
どうも、そうではない感じがするのです。

例えば、よく引き合いに出される話ですが、重大犯罪を犯した人も、阿弥陀仏に帰依して念仏をとなえれば救われるのか、という問いがあります。
この世では犯罪者は、法律の元で裁かれ、罰を受け、一番重い罪に対しては、今の日本では「死」が与えられることになります。
しかし、この世でどんな罰を受けた凶悪犯でも、本願を信じて念仏をすれば救われていくはずです。
凶悪犯も阿弥陀様は救ってしまうのか、と抵抗も感じます。

ですが時々、凶悪な犯罪者の生い立ちや、おかれた環境が報道されたりします。それを知ると、犯人は悪人であり、そのような者は救われるべきではない、という考えにも疑問が出てきます。
もちろん被害者や、その家族からすると、決して許せない思いは当然だと思います。
ですが、その犯人は法律に則った罰は受けるにしても、その人にも何かしらの救いがあってしかるべきでは、という思いが起きてきます。

むしろ、自分にとって身近な人の場合の方が、その人が救われていくことに対しての抵抗が大きいかもしれません。
これまで私の周りにも、「この人さえいなければ」と思ってしまう人はいました。その人のために自分が辛い思いをしたり、何かしらの損害を被ったりしたら、その人を嫌い憎む気持ちはどうしても起きてしまいます。
そういう人に対しても、阿弥陀様の慈悲は、私に対してと同じように注がれている、と考えると、どうでしょう。どうにも釈然としない思いが残ってしまいます。

私は心の中で阿弥陀様に訴えます。
阿弥陀様。阿弥陀様は皆を平等に救うといいますが、あのずるい人、あの意地悪な人、私にあんな酷いことをした人も平等に救うというのですか」

ですが、それはあくまでも自己中心の考え方なのです。
これは「私」を特別視している考え方に過ぎません。
私にとって、あくまでも「私」は特別で、「私」は救われてもいい存在なのです。これこそ、自己中心的な考え、つまり煩悩に絡み取られている姿なのでしょう。

そして、そういう自己中心の考え方は、単に道徳的、倫理的に良くないだけではありません。
人に対して怒りを覚えたり、憎しみを抱いたりすれば、それは私の心に大きな波風を立てて、要らぬ不安や恐れを抱く原因にもなります。それが結局、私自身を追い込んで苦しめている、そのことも、今は理解できているつもりです。

それでも、頭では分かっていても、私の心は阿弥陀様の「平等」に抵抗してしまいます。
あんな人も、阿弥陀様は平等に救ってしまうのか…救ってほしくない…という、自分でも誤っていると思える心が、どうしても生じてしまうのです。

阿弥陀様が願うような「平等」など、きっと私は望んでいないのです。
私は、阿弥陀様の、一切の生きとし生けるものを救いたいという平等な考え方に、心の底では賛同していないのです。それが結局、私自身を苦しめる要因になっていると分かっていても。
そんな私だからこそ、「平等」を実現した国、私の心にも「平等」を願う気持ちが生まれる国である極楽浄土を目指して欲しい、と阿弥陀様は第十八願で願われたのではないでしょうか。

十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念

今はまだ「平等」を願う心を起こすことができない私が、「平等」を願う私になること、まさにそのことを欲しなさい、それが「欲生我国」の意味ではないか、と近頃思うのです。
そう考えると「欲生我国」という言葉は、とても重く感じられます。

前回の記事「私とピアノ」を書いた後

つい先日書いた前回の記事で、私が約4年ぶりに楽器を手にしたことを書いたのですが、その後、改めて気が付いたこと、考えさせられたことがありました。

以前このブログで紹介した、阿満先生の本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)を最近また読み返していました。

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そして、前回の記事「私とピアノ」をアップした後、次のような阿満先生の言葉が目に留まったのです。

私は最近つくづく思うのですが、「煩悩」という言葉を仏教から教えてもらったけれども、実際、私たちは「煩悩」がどれほどに分かっているのでしょうか。言葉として「煩悩」は欲が深いとか怒りやすいというのは分かるけれども、心の底に突き刺さるような感動を「煩悩」という言葉から受けるかというと、どうもそういうことは少ないように思います。

心の底に突き刺さるような感動も「煩悩」である…。
確かにそうです。そのことは、私も以前から理解していたつもりでした。そして「感動」を得ることから生まれてくる苦しみもあることも理解していたはずでした。
「感動」が苦しみも生むことについて、私は3年近く前の記事にも書いていたのです。

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しかし、今回楽器を手にしたのは、やはり音楽から得る「感動」を求めてのことでしょう。それは「煩悩」なのだと自覚することなく、私は再び楽器を手にしたのです。
そしてきっと、この「煩悩」が何かしらの形で自分に苦しみを与えることになるのでしょう。

たかが楽器ひとつで大げさな、と思うかもしれません。
確かに、人生における様々な問題に比べれば、この件はそれほど大きな問題ではありません。ですが、「煩悩」が「苦しみ」を生み出すこと、その「煩悩」はなかなか自分には分からないことを端的にあらわしている気がします。

実際、楽器を公園や川原で弾き始めてから、すぐそばで楽器の練習を始める人の音が気になったり、演奏するいい場所がなくてイライラしたり、人に聞いてもらっている自分を意識しては嫌な自分が見えて苦しくなったり、様々な思いが起こってきていたのです。
この状態こそが「煩悩」にからめとられて、新たな苦しみを生み出している状態なのでしょう。

では、「煩悩」をおさえるため、自分の苦しみを少しでも無くすために、やはり私は楽器を手にするべきではないのでしょうか。
そんなことは、できません。
この「できません」には二つの意味があります。
「したくない」という思いと、「不可能だ」という思いです。

「したくない」という気持ちは、文字通り楽器を演奏したい、という気持ちです。
そして「不可能だ」とは、それができなかったからこそ、今回、何年ものブランクがあったにも関わらず、強い抵抗感があったにもかかわらず、楽器を購入したという事実です。
つまり、私は「煩悩」から離れることはできない存在であることが、このことからも明らかになったわけです。

それでもやはり、この「煩悩」を押さえて楽器を再び離れることが、良いことなのでしょうか。
それは、今書いたように不可能だと思うのと同時に、それは違うのではないかとも感じました。

そもそも楽器を離れたとしても、「楽器を演奏したい」という思いから離れることなどできません。それによって楽器を弾きたいという「煩悩」から解放されるのでしょうか。つまり「自力」で「煩悩」を離れることは可能なのか、ということです。
自分の努力や精進によって「煩悩」を離れようとする、それが出来ると思っているのならば、それこそ私は単なる偽善者になってしまう気がします。
やめてしまえば、きっと「我慢する自分」を誇る気持ちが沸き起こるでしょう。それは、楽器を演奏したくて演奏している状態より、ある意味「タチが悪い」と思えるのです。

では、どうすればいいのでしょう。
今の私の答えは、念仏を唱える生活を続けながら、楽器を演奏したいのならば、演奏を続けるということです。

やめられないならば、続けるしかない。やめてしまって心の問題が解決することはない。
「煩悩」を押さえるという、できもしないことをするのならば、「煩悩」に流され、抗うことのできない自分の弱さをしっかり自覚して、それを認めるしかないと思います。
そして、その自覚によって、さらなる「煩悩」の深みに落ちていくことを防ぐこと、そして、その事を忘れないためにも、念仏を唱えることです。
念仏が私を「煩悩」の深みに落ちていくことを救ってくれるのでしょう。

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今回、このことに気がついてから、前回の記事を削除しようか、と思いました。何か煩悩にまみれた自分が丸出しになっているようで、嫌になったのです。
ですが、自分の思いを整理して、前回の記事を書かなければ、今回の気付きもなかったと思います。だから、このまま前回の記事も残して、この記事を書くことにしました。

たまにしか更新しない独り言のようなこのブログですが、私にとって自分の考えを整理して記録していく、大切なブログなのだと改めて感じました。