残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、いよいよ60歳代に入りました。本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

これも阿弥陀仏の救いかもしれない

随分長い間、更新をしないできましたが、最近ある出来事があり、それについて久しぶりに書いてみたいと思います。
読み方によっては自慢話っぽくなってしまうかもしれません。そういうつもりはないのですが…。
とにかく、起こった出来事と私が感じたことを書いてみたいと思います。

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先日スーパーマーケットに食材を買いに行きました。
色々買う中で、ブロッコリーを1株、カゴに入れたのです。そしてレジに向かいました。

近頃、多くの店でバーコードを自分でスキャンするセルフレジが導入されていますが、そのスーパーもそうでした。私も最近はセルフレジを利用することのほうが多いので、セルフレジに向かったのです。
その時の私は、趣味の登山からの帰りで、かなり疲れていました。ボーっとしながらも会計を済ませ、帰宅しました。

帰宅してから、登山用具の片付けや、買ったものを冷蔵庫に納めて、少し落ち着いてから、スマホの家計簿アプリに、先程の買い物の内容を入力しようとしたのです。
私は、経済的にもゆとりがある生活をしているわけではないので、普段から家計簿をつけるようにしています。
すると、入力していて大変なことに気がついたのです。

ブロッコリーはセルフレジでは個数を手打ちで入力するようになっていました。バーコードが付いているものは、スキャンすればいいのですが、バラ売りしている野菜などは、個数を自分で入力するのです。
そのブロッコリーの個数がなんと、11個で入力してあったのです。
しかも、そのとき買ったブロッコリーは、いつもより高めの値段がついていて、260円くらいでした。つまりブロッコリー一株に2900円近く払ってしまったのです。支払った全額は約5000円、つまり本来なら半額以下の支払額だったのです。

普通に考えれば、自分が買い物した内容と支払額があまりにも違うので、最後の支払時に「おかしいな…」と気がついたと思います。ですが、疲れていてボーっとしていたからでしょう、全く気が付かずに会計を済ませて帰宅してしまったのです。

しかも、買ったものを冷蔵庫に納めていたら、ブロッコリーはまだ残りが冷蔵庫にある状態でした。つまり、今日買う必要のないものを買ってしまったうえに、倍近いお金を払うハメになったのです。

かなりショックでした。
スーパーに引き返してレシートを見せ、事情を説明して返金してもらおうか、と思いました。ですが、本当にブロッコリーは1株しか買わなかったことをどう証明するのでしょうか。こちらが言うことを、すぐに信用してくれるのでしょうか。

その上、その日は登山帰りだったため、普段はあまり使わない自宅から遠いスーパーで買い物をしたのです。
登山帰りで疲れてしまって、帰宅して落ち着いたところで、返金してくれるかどうかも分からないのに、また遠いスーパーまで出向くのか…と思うと、気が重くなりました。

かといって、このまま諦めるのは、あまりにも残念すぎる。余分に払ってしまったお金があれば、あれも買えた、これも買えたじゃないか、と思うとくやしくてなりません。
自分のアホさ加減と、失ったお金を思うと気分が落ち込み、かといってスーパーまで行く気も起きず、しばしうなだれている状態でした。

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ところが、ふと、ある思いが私の中で起きたのです。
私が損をしたってことは、誰かが得をしたんだ…
つまり、誰かの役にはたったんだ。
そう思えてきたのです。

そうすることで不思議なことに、気持ちが明るくなり、落ち着いてきたのです。
そうだそうだ、これもきっと誰かの役にたっているんだ、いいじゃないか。

実際に、誰の役に立つのかはわかりません。そのスーパーで今日の売上が、ブロッコリー10株分多かったからといって、スーパーの業績に影響が出るわけないですし、そこで働いてる人たちの給与に反映されるはずもありません。
だけど、巡り巡って、気が付かないくらいであっても、どこかで誰かが得をしていると思うのです。

こんなこと書くと、まるで私が「自分はいい人だ」と自慢しているように受け取られるかもしれません。
そういうわけではないのです。
それは、誰かの役にたったということよりまず、そう思えたことによって自分の気持ちが救われたことが、私にとって大きなことなのです。

かつての私であったら、いつまでもグジグジを後悔して、損したことを悔しがって、少なくともその日は夜まで落ち込んだ気分で過ごしたことと思います。
いえ、次の日になって思い返しても、その度に嫌な気分になったと思うのです。

誰かが得をしているからいいや…。
そういう思いが湧いてきたのは、やはり仏法を聞き、念仏をとなえる生活を送っているからだと感じます。

念仏の生活に入る前の私であれば、今回のような思いには至らなかったでしょう。そしていつまでも、嫌な気分にとらわれていたはずです。
そして、これも阿弥陀様の救いなのかも、と思うのです。

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さて、しかし、果たして私は本当に、以前の私から変わったのでしょうか。
そうとも言い切れないところが悲しいところです。

例えばこれがブロッコリーではなく、1億円が当たった宝くじを落としてしまったとしたら、どうでしょう。
「誰かが得をするからいい」などと思って、心安らかでいられるでしょうか。

そうは思えません。
きっと、体に鞭打って血マナコになって探し、見つからなければ大きな後悔に襲われて、長い間立ち直れないと思います。

煩悩具足の凡夫であることに変わりはない、ということです。
でも、少しだけマシになって、自分の苦しみからも少しだけ、本当に少しだけれど解放されてきているのかな、とも思います。

私の死をイメージする

前回の記事で、死について触れましたが、書き終わって思いました。
私は自分の死を受け入れることができるのだろうか。
60歳を過ぎた今の時点で、私自身は死をどう捉え、受け止めているのでしょうか。

私の場合はまず、死ぬ時の痛みや苦しみが恐ろしいのです。
私の母も父も、すでに他界しており、二人の臨終に私は立ち会いました。死の苦しみに関して忘れられないのは、まず母の死です。私の母はスキルス性胃がんで、がんの告知から1ヶ月もたたずになくなりました。もう20年ほどたつのですが、その時のことは今でも鮮明に覚えています。

母の最期は非常に苦しそうでした。
亡くなる一週間前には、私が見舞いに行くと、ベットの柵を握りしめ、ガタガタ震えながら痛みに耐えていました。それでも私が来たことに気がつくと、何でもないように振る舞おうとしていました。母はとても我慢強い性格だったのでしょう。私には痛みや苦しみは訴えませんでした。看護師さんが様子を見に来た時にも、死の直前まで笑顔を見せていました。おそらく看護師さんに対しても、痛みや苦しみを訴えることは極力我慢していたのではないかと思います。

当時の私は、まだがんの知識もほとんどなく、突然のがんの告知と急激な進行に、どう対応すればいいのか、ただうろたえるだけでした。
今ならば、スキルス性胃がんで、肝臓にも転移して、手術もできない状態ならば、担当の医師に十分な緩和治療をお願いすると思います。
そもそも、私に直接訴えることはなくても、母が痛みや苦しみに耐えているのに私は気がついていたのです。ですが、その当時は緩和治療にさえ思いが至らなく、母には残酷なことをしてしまい、今思い出してもつらくなります。

父は認知症をわずらい、最後は肺炎で亡くなりました。母の死から7年ほど後のことです。母の死ほど苦しそうではなかったのですが、それでも死の直前は、呼吸が苦しそうで、つらそうだったことを覚えています。

そういう両親の最期を見ているので、死ぬ時の苦しみが私にとっては恐怖なのです。
しかし、痛みや苦しみが緩和されるならば、今の私は死がそれほど怖くは感じないのも事実です。もうこれまで十分に好き勝手な生き方をしてきたのだし、さらにもっと生きて、あれもしたい、これもしたい、あれが欲しい、ということも、だいぶなくなってきました。

ですがこれは、なんだかんだ言って、まだ死をリアルに想像できていないから、という気もします。
痛みや苦しみ以外では、それほど怖さを感じない、ということは、まだ十分に自分の死をイメージできていないからなのかもしれません。

自分の死を、明確にイメージできればできるほど、実際に死を迎えた時に、後悔の念に襲われたり、死にたくないとつらい思いに苛まれたり、取り乱したりすることが少なくなると思います。
また、生きている今、何をなすべきかも見えてくる気がします。特別なことでなくても、日々どのように過ごすのか、人や世の中との関わり方も、より望ましいものになっていくと思うのです。
そのために「死」をできるだけはっきりとイメージしたい。
それも、観念上の「死」ではなく、あくまでも「私の死」でなければいけません。

しかし、これはかなり難しいことのような気がします。
大きな病や事故にでもあわなければ、私は「私の死」をリアルには感じられない気がします。そうなって初めて、私は私の人生の終わりを実感し、残りの人生をどう生きていくのか、我が事として考えられるのかもしれません。

前回の記事で取り上げた久坂部羊氏は、今死ぬわけではないと思っているのは、人間は死なないと思っているのと同じだと、その著書の中で度々書いています。まったくその通りだと思います。
しかし私にとって、「今死ぬかもしれない」つまり、「人間(私)は死ぬのだ」と思えることが、まず難しいと感じます。
「私の死」を本当に心から、体の奥からも理解できなければ、どのように今を生きればいいのかも、見えてこないのかもしれません。

もしかしたら、凡夫である私には、それも死ぬまでわからない気もします。
ですが、少しでも「私の死」をイメージできるように、日々過ごしていく、まずはそこから始めることが、死を受け入れて、今の生の在り方にたどり着く道なのだと、今は強く思います。

「死」を思う 〜 『寿命が尽きる2年前』(久坂部羊=著)を読んで

仏教の教えを聞いてきて思うのは、「死」を理解しなければ、「生」も理解できない、ということです。
やはり「死」という問題が何より大きいのだと改めて思います。

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久坂部羊氏の『寿命が尽きる2年前』(幻冬舎新書)を読みました。
以前、久坂部氏の『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)についての記事も書きました。久坂部氏の著作は、その後『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)も読んで、これで3冊目です。

医師でもあり、作家でもある著者は、主に医学的な見地から、死について考えます。宗教的な内容の本ではないのですが、「死」について書くことは、必然的に「生」について書くことにもなり、そこには宗教的な色彩も現れてきます。
三冊も読むと、重複している内容も出てくるのですが、私が読んだ三冊の中でも特にこの本は、「どう生きるか」ということを考えさせてくれました。

久坂部氏は、治る病ならば医療に頼ればいいが、死が迫った時のさらなる治療行為は、逆に苦しむ結果になる。死に対して医療は無力なのだ、と繰り返し訴えます。医師であるだけに説得力があります。
ですが死が近づいた時、多くの人が医療に頼りたくなるのはなぜか、なぜ死を受け入れられないのか、著者はこう考えます。

人は必ず死ぬのに、その日は日一日と近づいてくるのに、受け入れられないのはなぜでしょう。答えは簡単。死ぬのがいやだからです。死ぬのが怖いからです。死んだらどうなるかわからないからです。
(『寿命が尽きる2年前』より)

とてもストレートで平易な書き方ですが、本質をズバリついています。
そして、死を受け入れるために、こう考えるのです。

死が迫ったとき、泰然とそれを受け入れるには、十分に生きたという実感を持てればいいのではないでしょうか。命を延ばすことに汲々とするのではなく、満足の得られる何かを積み重ねることです。

ですが、私はここに少々首をかしげてしまいました。
十分に生きた、ということは果たして生きているうちに完成される思いなのでしょうか。
久坂部氏はそういう生き方の例をいくつか上げていますが、いずれも自分のやりたいことに突き進んでいく姿に見えます。

そういう生き方を続けて、果たして「もう十分だ」という境地に達するのでしょうか。それができる人もいるかもしれませんが、私にあてはめると、難しい気がするのです。
その内容が、利他的な社会活動にせよ、必ずその根底には、「それをやりたい私」がいるのであり、そうである以上、いくらやっても十分やったとは思えず、「もっともっと」という気持ちは消えないと思うのです。

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しかし、久坂部氏は、そんなことも分かっている気がします。
なぜなら、ところどころに仏教の教えにつながる記述があるからです。例えば以下のような箇所です。

逆に寿命を受け入れたなら、あとは自由に暮らせばいいのですから、こんな楽なことはありません。(中略)
それができないのは、右記のもろもろを、自分の思い通りにしようとするからです。つまりは自分の都合。それに執着することが、苦のはじまりであると、二千六百年前にインドのゴーダマ・シッダールタが説いています。

成功したいとか偉くなりたいとかいうのは、若気の至りのくだらぬ邪心で、それにとらわれているうちは、大事なものが見えない。“いつまでも元気で長生き”を求める欲望も、きっと同じです。それにとらわれたままでいると、寿命が尽きる二年前に至っても、人生の最後を有意義にすごせない危険性があるということです。

このように考える筆者ですから、ただ自分のやりたいことをやり尽くせば、十分に生きたと感じて死を受け入れられる、というだけの考えでいるわけではないと思うのです。
すると、先に引用した「十分に生きたという実感」とは、どのように得られると久坂部氏は考えているのか、わからなくなってきます。もしかしたら私の読み込み方が足りないのかもしれません。

ですが思いました。
そこを考え続けることが、大切なのではないか。
「十分に生きたという実感」は、単純に自分のやりたいことをやることではない。では、何をすればいいのか。
何もしなくても十分に生きたと思えるなら一番でしょうが、それこそお釈迦様の悟りからは遠く遠く離れている凡夫の私ですから、そんな境地にはなれそうにありません。
では、どう考えて、何をすればいいのでしょうか。

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一部、著者の考えに異論をとなえるような書き方をしてしまいましたが、そういうわけではありません。なにより、このようなことを考えさせてくれるのが、この本であり、久坂部氏の考えの深さなのでしょう。

実際、ここまでリアルに「死」を語った本には、なかなか出会えないと思います。
私はこれまでも死に関する本を読んできましたが、観念上の死についてがほとんどで、久坂部氏の本のように現実の死、つまり「私の死」について考えさせてくれる本には、なかなか出会えないのです。
やはりこれは、医師である著者が多くの死を見て、長い間「死」について考えてきた結果だろうと思います。

死を受け入れるために、何をすればいいのか、どう考えて過ごせばいいのか、まだまだ私には答えは見えません。もう私自身の死まで、それほど時間はないかもしれないのに。
ですが、残された時間のうちに答えは出ないかもしれないけれど、これからも「死」について考え続けていきたいです。
それこそが「生」を考えることになるからです。

今も残る言葉 「お金がなくてもいいじゃないですか」

前回の記事で、阿満利麿先生の著作、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)に書かれていた「聞く」ことについて触れました。
阿満先生は「聴く」ではなく「聞く」、つまり自分の意思をもって注意してきくのではなく、何かの拍子にふっと耳に入った言葉の方が残っていると言います。それは、自我が緩んだ時に、真実の言葉が自然に聞こえてくるからだと言うのです。

確かにそうです。
私にもそのように、心に残っている言葉がいくつもあります。なぜ、あの言葉が記憶に残っているのか、不思議に思えたりもするのです。
その言葉が心に残っているということは、きっとその中に私にとって大切な意味が含まれているのでしょう。

そういう私の中に残っている言葉の中から、阿満先生の言葉をひとつ、取り上げてみます。
もっとも、これから書くことは、阿満先生が言うような、真実を感じ心に残った言葉とは少しニュアンスが違うかもしれません。
何気ない内容といえばそうなのですが、それでも私にとっては大切な何かがあったから、記憶に残っているのだと思います。

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もう3,4年前になるでしょうか、京都の法然院で阿満先生の講義が行われ参加しました。
講義の最後に、参加者と阿満先生の質疑応答が行われ、ある人が質問に立ちました。

その質問の内容自体はすっかり忘れているのですが、一連のやりとりの中で、質問者が阿満先生に、「それでもやっぱり、お金は必要で、稼がないと…」というような意味の言葉を返したのです。
それに対して阿満先生は即座に、「なぜ必要ですか、なくてもいいじゃないですか」という返答をしたのです。阿満先生がキッパリと言い返したことを、よく覚えています。

私はハッとした気持ちにさせられました。
「お金が全てじゃない」「お金で幸せは買えない」とは、よく言われますし、そのことは私も肯定はしていました。
しかしその時は、阿満先生のなんの迷いもないような言葉を聞いて、それまでにはない強い感覚で「そうだ」と感じました。私は、何か力づけられたような気がしたのです。

ですが、その後すぐ、その言葉に頷くことへの抵抗も生まれました。これは決して阿満先生を批判する気持ちや、「やっぱりお金は必要だ」という思いがわいてきたのではありません。
「お金が必要なのか」という言葉に、深く頷き、力づけられた気持ちになったのと同時に、頭に浮かんだ思いがあったのです。
それは「阿満先生は、そうかもしれないけど…」という思いです。

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それは、阿満先生自身は、おそらく金銭的に苦しいわけではないだろうと、私には感じられたからです。

私から見た阿満先生は、京都大学を出て、NHKに就職して、その後は大学教授も勤められて、著作も多数あり、このように講演も行っている、素晴らしい経歴の持ち主です。
実際は大学教授の先生たちも、それほど経済的に潤っているわけではないそうですが、そうはいっても、さすがに日々の暮らしに困窮して、いっそのこと生活保護を申請しようか悩んでいたり、スーパーの閉店間際に割引きシールの付いた食品を探す生活ではないと思います。
そういう人から「お金は本当に必要ですか」と問いかけられても、やはり「そうは言っても…」という思いがわいてくるのです。

その後、その時の阿満先生の言葉は、私の中に幾度となく思い返されてきました。
そのたびに、「そうだ」と頷き、でも次の瞬間には「阿満先生、そうは言っても…」と思うことの繰り返しでした。
そして近頃、そういう私の考え方に、おかしな点があることに気が付きました。

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私は、以前も記事に書いたように、破産も経験しているので、今は決して豊かな暮らしではありません。貯金もほとんどありません。
私は、そんな自分が「本当にお金は必要ですか」と言っても、単に負け惜しみにしかならないだろうと思っていたのです。

でも一方で私は、お金がある人が「本当にお金は必要ですか」と言うと、それはあなたに余裕があるからだと思うわけです。
お金がない人が言うと、それは負け惜しみだと受け止める私がです。
一体私は、お金に対してどういう考えをもっているのでしょう。
そしてある時、思ったのです。

お金に余裕がない今の私が「お金は必要ない」と言うことに抵抗があるのは、他人の目に負け惜しみと映ってしまうのが嫌だ、というのが大きな理由ではないでしょうか。
お金が大切か、本当に必要か、が問題なのではなく、他人にどう思われるのかが、私にとっての一大事なのです。

では改めて、私にとって本当にお金が大切で、必要なのでしょうか。
実際に生活ができないと、それは困ります。ですが、今の私は余裕はないにしても、生活はできて、お酒を飲んだり、時々好きな登山やスポーツ観戦に行ったりして、多少の楽しみも持つこともできているのです。

阿満先生は、お金は「なくてもいいじゃないですか」と言いきりました。
完全に金銭的な欲望を断ち切ることは、私には無理だと思いますが、今の私の暮らしを思うと「これで充分じゃないか」と思えてきます。
でもそう言い切れない気持ちの奥底には、他人の目に対する見栄があるのです。お金が無い者の負け惜しみだと思われたくない、という見栄です。

おそらく私は、「お金がなくてもいいじゃないか」と心の底では思っているのではないでしょうか。そして、その気持ちを邪魔しているのが周りの目を気にしている「私」です。
そんな自分に対して何か違和感を感じていたから、あの阿満先生の言葉が、私の無意識の中に飛び込んできた言葉として、ずっと残っていたのかもしれません。

「聞く」と「聴く」

このブログで度々取り上げさせてもらっている阿満利麿先生の著書の中でも、特にここ数年、繰り返し読んでいるのが『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)です。
阿満先生の公開講座「『歎異抄』を読む」をまとめたもので、この本から気付かされることがいくつもありました。

それらの気付きの中のひとつに、私の過去と照らし合わせて、とても印象に残っている内容があります。
それはこの本の冒頭のあたりに書かれている「聞く」と「聴く」の違いについてです。

歎異抄』の冒頭である「序」には、著者の唯円が『歎異抄』を書くにあたっての思いが表されています。

親鸞聖人御物語のおもむき、耳の底に留まる所いささかこれをしるす。
歎異抄

この、「耳の底に留まる」という表現に関連して、阿満先生は「聞く」と「聴く」の違いを取り上げています。

中国の古典の漢字の使い方としては、「聴く」は、自分の意思をもって注意してきく、「聞く」は自然に耳に入る、となります。
振り返ってみると、自分がたずねて答えてもらった言葉が耳に留まっていることはほとんどなくて、何かの拍子にふっと耳に入った言葉の方が残っています。みなさんもそうではないでしょうか。聞くというのは、私たちの無意識の中に本当のことを聞きたいという要求があるから、自我の枠が緩んだ時、他人が話している本当のことが自分に感応してくるのであり、真実の言葉が自然に聞こえてくるのです。
歎異抄講義』

私は先ほど、過去の私と照らし合わせて印象に残っていると書きました。
実は私は若い頃から、この「聞く」と「聴く」の違いにこだわり、自分の中では使い分けていたのです。
そして、若い頃に私が重要視していたのは「聴く」でした。

というのも、私はかつて音楽に熱中していて、音楽関係の仕事にも関わっていました。
そんな私にとって「聞く」というのはあるべき姿勢ではない、「聴く」ことこそ大切だったのです。
40歳の頃に、音楽関係から離れて以後、特に「聞く」と「聴く」を意識することはなかったのですが、それでも「聞く」は「聴く」に比べて意識の低い態度であり、「聴く」の方が重要だと思っていたのです。

ですが、浄土の教えに触れ、この阿満先生の書かれた内容を読んで、自分は「聞く」ことの大切さを知らなかったことに気が付いたのです。
もちろん、音楽を聴いたり、ましてや仕事として音楽に臨むときには「聴く」という姿勢も必要でしょう。ですが、過去の私はあまりにも「聞く」ことの大切さを軽視していたのだと思います。

阿満先生は、このように続けます。

聞くことに徹底している人は苦しむことがないのです。私たちの耳は本当のものをとらえて放さない構造になっているはずなのですが、「自見の覚悟」に振り回されているために、なかなか本当のことが聞けないのです。
(中略)
「聞く」ということに価値を見いだすと、今までとは違った喜びとか楽しみが増えてくるのは確かです。

※「自見の覚悟」とは、自分の一人合点のこと (『歎異抄』講義』より)

確かに、「聴く」という行為はまず自分が中心に据えられて、自己が全面に押し出されているように感じます。
仕事をする、自己表現をするうえでは、自己を押し出していく必要があり、若い頃の自分は、この「聴く」ことこそ大切なんだ、と思っていたのです。
それは間違いだった、と言ってしまうと、それはそれで極論過ぎると思うのですが、少なくとも、その姿勢を押し通したことにより、自分を苦しめ、他人との軋轢も生んできたのも事実だと思います。
私は長い間「聞く」ことに価値を見いだすことなく生きてきて、そのあり方が、私自身や周囲を苦しめる結果を引き起こしてきたのだと思います。

だからといって、こんな私がすぐ「聞き上手」になれるとは思えません。
それでも、この歳になるまで気が付かなかったことに、この命が終わる前に気が付いてよかったと思うのです。

初めての念仏から今まで 私と念仏(4/4)

私が念仏をとなえるまで、前回の続きです。

thinking-about.hatenablog.com

離婚が成立した後、元嫁と共同で行っていた事業は一人できりもりしていましたのですが、経営は厳しさを増す一方で、いよいよ破産が現実味を帯びてきました。

ある休日の夕暮れ時、私は一人で暮らすには広すぎる家で、一人ビールを飲んでいました。煙草を吸おうとグラスに入ったビールを持って庭に出ました。
陽が沈んだ、薄明るい西の空を見ながら、ビールを片手に煙草を吸いました。
その時、私の口から「南無阿弥陀仏」という念仏が出てきました。
私が初めてとなえた念仏です。

なにやら神秘的な出来事のような書き方をしてしまいましたが、もちろん、自分で念仏をとなえようとしてとなえたのは確かです。
ですがなぜ、それまで抵抗があり躊躇していた念仏を、その時となえる気持ちになったのか、分かりません。
お酒に酔っていたのかもしれません。
ただ、初めて念仏をとなえたこの時のことは、今でもはっきり覚えているのです。今から五年前の秋の夕暮れでした。

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初めて念仏をとなえてから、すぐに念仏をとなえる毎日になったわけではありません。いつから毎日、念仏をとなえる生活になったのか、それはよく覚えていないのですが、家を出て新しい土地で暮らし始めた時には、毎日念仏をとなえるようになっていました。
初めて念仏が口をついて出てきた時のように、お酒を飲んでとなえることもありましたが、普通に酔っていない時でもとなえるようになっていました。

どうとなえればいいのか、「ナムアミダブツ」なのか「ナンマイダ」なのか「ナムアミダブ」なのか、という疑問は、YouTubeで沖野頼信師の法話をきいて解消しました。
第十八願の「乃至十年」に関連して、沖野師はこう話しています。「乃至十年」とは、だいたい十回くらいということなのだ。となえ方も「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」なのに、「ナンマンダ」とか、いい加減に思える。だけどこれは「自分をすててる」ということなのだ、と話されていました。
(私の書き方だと誤解を生む恐れがあるので、興味がある方は実際の動画をご覧ください。30分前後に、「乃至十年」の話が出てきます)


www.youtube.com

この話を聞いて、念仏をどうとなえるか、それも自分のはからいに過ぎないと私は気付かされました。それからは、「ナムアミダブツ」「ナンマンダ」など、その時口に出た念仏をとなえるようにしました。

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念仏をとなえはじめてから数か月後、私は事業を継続することが困難になり、破産手続きを開始しました。
離婚が成立してから一年ちかく後、私の会社は破産、代表取締役であった私自身も自己破産をしました。そして父から相続した生まれ育った土地も手放すことになり、安くてすぐに入居できるアパートに引っ越したのです。

自分の経営していた会社が破産するということは、仕事も失うことです。だから、とにかく急いで仕事を見つけなければいけませんでしたので、倉庫の仕分け作業の仕事につきました。
ちょうど新型コロナが流行りだしたころで、休憩中も他の人との会話は禁止、ひとり一人離れて休憩をとるのです。そんな休憩時間に、私は繰り返し『浄土三部経』を読んで過ごしたました。

倉庫の仕事は肉体的にもきつく、とても長く続けられるとは思えませんでした。私は、転職を考えました。
そして、新しい仕事を探すのであれば、京都へ行こうと思ったのです。京都ならば、法話を聞く機会も沢山ある。お参りしたくなればすぐいける。私自身、京都という街が好きで、何度か旅行で訪れていました。

破産手続きもまだ完了していなかったのですが、弁護士の方に、裁判所に報告をして、債権者集会などにきちんと出席すれば、他府県に引っ越しても構わないことを聞き、京都での職探しを決断、その数ヶ月後には新しい仕事と住処を京都に得ることができたのです。

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現在は、京都で部屋を借りて暮らしています。以前のように庭付きの持ち家ではありません。仕事も、「この仕事をしたい」というほどの強い気持ちを持って選んだ仕事ではありませんから、やりがいは正直それほどありません。収入も多くはありません。
ですが何よりも、念仏をとなえ、聴聞を続ける日々を送ることができているのです。

今はもう、何かを自分で成し遂げてやろうという気持ちも、ゼロではないとは思いますが、あまりないのです。年齢的なこともあるのでしょう。それとも、私は何かをあきらめてしまったのでしょうか。
ですが、かつての自分、まさに地獄の中にいたような自分を思うと、なんて恵まれているのか、と思います。

今の私の周囲には、私が過去どういう経歴の持ち主か、学歴や職歴などを知る人はいません。私が何ができて、どういう実績があるのか、今の私の周りの人は全く知らないのです。
私は、何者でもない私になったのです。
ですが、心はとても穏やかです。周りにさんざん迷惑をかけたあげく、自分はこんなに心穏やかな日々を過ごしていていいのだろうか、とも思います。

これが念仏の功徳なのか、とも思うのですが、実際のところ私にはわかりません。きっとそうなのだ、とは思うのですが、念仏をしなかった私と、今の私を比較することができない以上、「これが念仏の功徳だ!」と断言はできません。

ですが、この念仏の生活を続けて、私がどのような人生を送り、最期を迎えるのか、確かめたいと思います。
それは、どのような最期になるのでしょう。もちろんその時にならないと、分からないのですが、『歎異抄』の第二条の言葉こそ、今の私の思いに重なるように感じられます。

自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
(『歎異抄』第二条より)

 

離婚と破産の危機 私と念仏(3/4)

前回の続きです。

thinking-about.hatenablog.com

再婚した後の私は、仕事や子育てにも忙しく、自分で本を読む時間もほとんどありませんでした。時間的なこともそうですが、自分が向かい合う対象も、家庭のこと、仕事のことが中心でした。そしてまた、宗教とは縁がない生活が続いたのです。

初めの頃は子供と嫁と、楽しく幸せに思える暮らしが続きました。忙しい毎日でしたが充実感もありました。
しかし、結婚生活が十年近くなってきたころに、嫁との関係がうまくいかなくなりました。
その数年前から、私は嫁と一緒に事業を立ち上げていました。私は経営者としての仕事、現場の業務、育児や家事の主夫業、時々家計を助けるためにパートにも出たりして、何足もの草鞋も履く、睡眠時間も少ない生活をしていました。嫁も事業の現場仕事等で忙しく、すれ違いや衝突が増えてきました。
そしてある時、嫁は事業の現場から手を引き、子供を連れて家を出ていったのです。

やがて正式に離婚が成立し、嫁は完全に事業からは手を引きました。その結果、嫁と共に行っていた事業も非常に厳しい状況に陥ったのです。
離婚の原因については、特にここには書きません。書こうにも、分からないことが多すぎるし、私自身の言葉では真実を語ることはできないと思うのです。
とにかく、私はここで家庭を失ったのです。

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嫁が子供を連れて出て行ってから、再び一人の暮らしが始まりました。事業をなんとか立て直そう、継続させようと、無我夢中の毎日でした。
ですが期せずして一人の暮らしになって、自分の時間もでき、本を読む時間を持つこともできたのです。そこで再び、過去に購入していた阿満先生の本を読み返したのです。

久しぶりに読んだ阿満先生の本の中で、私が衝撃を受けたのは、以下の文章でした。過去すでに何度か読んだはずのところですが、その時、はじめて私は大きな衝撃を受けたのです。
過去の記事でも紹介したことのある箇所です。少し長く引用します。

近代以後は、自己の欲望を手段を問わず追求するのが人生だという風潮が強まったのであり、その自分に失敗や過ちが生じても、それはすべて他人のせいで、ちょっと不運だったにすぎない、としか考えない。そこでは、自己中心であることによって生じている摩擦や軋轢、悲劇を正面から認めることは滅多にない。このような人間が自らを「悪人」だと意識するにはよほどの条件が整わねばならないだろう。
その条件の一つは、飽くことのない自己中心の生き方が挫折するときであろう。その時はじめて、自分の欲望追及のためにどれほどの人々の願いが無視され、踏みにじられてきたか、に気がつかざるをえない。すると、今まで経験したことがない懺悔や後悔の思いが堰を切ったようにあふれてくる。自分はなんのために生きてきたのか、とあらためて自問する。

歎異抄』(阿満利麿=著 ちくま学芸文庫

この「自分の欲望追及のためにどれほどの人々の願いが無視され、踏みにじられてきたか」という一文は、それまでの私のあり方を目の前に突きつけてきたのです。

その頃の私は、何とか破産を免れる方法はないかと毎日考え、様々な人に相談もしていました。そして、その最中にも、離れていった子供たちのこと、元嫁のことが思い出され、激しい怒りや悲しみの気持ちに襲われていたのです。
私が今、受けている苦しみを、私はこれまで他の人たちに与えてきたのだ。そしてその苦しみを今度は私が受けている。
そして、私を苦境に追い込んだ根本の原因を、阿満先生はズバリ指摘したのです。嫁との衝突や、事業で起こっていた問題など、それら一つひとつの直接的な原因ではない、私自身に根本の原因があることを教えられたのです。

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私は浄土の教えに関する本を探しては読みました。また、阿弥陀仏の本願について、これも『浄土三部経』を読まなければ分からないだろう、と思い、読んでみました。(もちろん現代語訳を通してですが)

神や仏に、今の経済状況の解決や、子供たちとの暮らしに戻ることを叶えてもらおうなどとは、考えていませんでした。そんなこと、神や仏が叶えてくれるわけがありません。
そういうことは私の責任で引き受けざるをえないことです。ですが、この苦しい気持ち、不安、怒り、絶望感から逃れたい、と心から願いました。
念仏が救ってくれるのだろうか。念仏をすれば、今の苦しい気持ちからのがれられるのだろうか、と思いました。

ある時には、夕日を見て『観無量寿経』にある第一観、日想観を思いました。
それは、極楽浄土を見るための第一の方法です。まず夕日を思い浮かべ、沈む夕日を見て、目を閉じても夕日の姿がはっきりと見えるようにする…。
あの夕日の先に、苦しみのない世界、阿弥陀仏のいる極楽浄土があるのだろうか。
もちろん、そんなことは信じられませんでした。ですが、信じられるものなら信じてみたいと思ったのです。あの夕日の向こうに、極楽浄土がある…。

私は阿満先生の講演にも出かけてみました。それを手始めに、法話を聞く機会があればでかけ、ネットでも法話の動画を見つけては聞いてみました。
その頃私は「まるで、自己洗脳をしようとしているみたいだ」と思いました。自分で自分を信じ込ませるようにしむけてる、そんな感じもしたのです。
ですが、それを止めようとしなかったのは、今振り返ってみると、阿弥陀仏や浄土の存在を私が強く欲していたからだと思います。

その頃はまだ念仏をとなえてはいませんでした。となえてみようか、とも思ったのですが、どうしても躊躇してしまうのです。
躊躇していた理由はいくつかあったと思います。
一つは、ある種の気恥ずかしさがありました。「信じたい」という思いも強くなっていたとは思いますが、やはり「念仏なんて、このオレがとなえるなんて…」という感覚でしょうか。
あと、念仏は一体どのようにとなえればいいのか、そんなことにも躊躇していました。「ナムアミダブツ」なのか「ナンマイダー」なのか「ナンマンダブ」なのか。
ですが、そういう引っかかりも、結局は「念仏をとなえるなんて…」という、自分がそういうことすることへの無意識の抵抗だった気がします。

そういう躊躇する気持ちもあり、法話を聞いたりして、その内容に深く納得できるようになっても、念仏はとなえいままでいたのです。
そしてやがて、私がはじめて念仏をとなえる時がやってきました。