残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

2022-01-01から1年間の記事一覧

私は、生きたい

今日は2022年の大晦日です。大晦日だからといって、私にとって何か特別なことがあるわけでもなく、日々の生活の一日に過ぎません。とはいっても、やはりこの一年を振り返ってしまいます。その時ふと気がついたのですが、このブログを始めて三年が過ぎたので…

聴聞の日々に起こった迷い

私は今、時間が許す限り、法話や浄土の教えに関する講演を聞きに、つまり聴聞にいってます。このような聴聞生活を始めて、かれこれ3年になります(2022年12月現在)。 離婚と破産という出来事を経て、仕事や家庭、家と土地も失って、一人で今住む街に越して…

再び、孤独と寂しさについて

前回の記事で、孤独と寂しさについて書きました。それからさほど日が過ぎていないのに、「ああ、そうだよな」と新たに気付かされることがあったのです。 thinking-about.hatenablog.com 阿満利麿先生の講義を収めた本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)の…

2022年報恩講を終えて ~「寂しさ」と共に生きる~

今年2022年の報恩講も終わりました。 報恩講とは親鸞聖人の命日である11月28日前後に行われる法要です。私が今回参拝した京都の東本願寺(真宗大谷派)や佛光寺では、11月21日から28日まで連日法要や法話が行われます。ちなみに報恩講の期日は宗派や寺院によっ…

阿弥陀仏の物語を信じること

本願を信じ念仏をまうさば仏になる 『歎異抄』の第十二章に書かれている言葉です。学問をしなければ浄土に生まれることは難しい、という説に対して、著者唯円は、阿弥陀仏の本願を信じて念仏すれば浄土に生まれる、ということを知る以外に、何の学問が必要な…

私の苦しみ

私がこのブログを始めたのは、このブログのタイトルどおり、それまでの生き方で一生を終えたくない、という思いからでした。 最近の記事(といってもあまり更新していないのですが…)で度々触れていますが、私は数年前に離婚や破産という経験をしました。その…

頑張らなくていい~競争心からの解放~

浄土の教えを知り、阿弥陀仏の誓願の物語を受け入れて、念仏の暮らしに入ってよかったと思えることはいくつかあります。その中の一つに、「頑張らなくていい」ということがあります。 それだけ書くと、努力することを放棄して、ダラダラと毎日を送るように受…

阿満利麿先生の言葉

仏教の教えに触れていくと、善知識という存在がでてきます。善知識とは、仏道に導いてくれる人といえばいいでしょうか。いわゆる「教祖」とは違い、仏道を歩む先輩のようなイメージだと思います。 私は今、念仏の生活を過ごしているのですが、私にとっての善…

自分の正しさ~浄土真宗大谷派「不戦決議」に思う~

浄土の教えに関する法話を聞く中で、浄土真宗大谷派の「不戦決議」を知りました。この「不戦決議」は1975年、戦後50年にあたり浄土真宗大谷派の宗会で採択されたものです。内容は文字通り、先の大戦に際して宗門が犯した罪を懺悔して、不戦を誓うものです。…

怒りの心

仏教では、「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」という三つの煩悩を「三毒」として、最も重いものにあげています。この「三毒」についての詳細は、私は仏教の専門家ではないので書きませんが、その中の「瞋」について、特に思うところがあります。 「瞋」とは…

一番幸せだったころ

今回は個人的な思い出話が中心の内容です。ですから、読む人にとっては、どうってことない話になってしまうかもしれません。 私も、2022年の今、60歳が近づいてきました。若かった時、または数年前のことなど、過去のことを思い返すことが多くなりました。歳…

慣れていくこと

近頃はこのブログで、私の辛かった経歴に触れるようになりました。離婚であったり、それに伴う子供たちとの別れであったり、倒産や破産だったり…。ブログを始めたころはほとんど書かなかったのです。それらを書くようになってきたのは、今はその辛さから抜け…