残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

映画『福田村事件』を見て

映画『福田村事件』を見ました。
まず強く感じたことは
「このような映画が、まだまだ上映できる日本でよかった」
ということでした。

映画自体は、大変衝撃的で、考えさせられる内容でした。
ネットで調べてもらえれば事件の概要や、映画の情報もすぐに見つかるので、ここで色々書くつもりはありません。
ただ、大々的に宣伝されている映画ではないので、一人でも多くの人に見てもらいたく、全く力にはならないとは思うのですが、このブログでも取り上げさせてもらいます。

私がこの映画を知ったのは真宗教団連合が特別協力ということからです。そして実際に足を運んで見てみようと思ったのは、森達也監督のインタビュー記事を見たからでした。
森監督は、例えばドイツと比較しても、日本の戦争に関するメモリアルは、広島・長崎の被爆のような被害者としての内容が多く、加害者としてのメモリアルは少ない、と指摘していました。
この発言には、共感するものがありました。そして、このような発言を、今現在、堂々と行う、この森達也という監督の作品を見てみたいと思ったからです。

そして、内容は予想以上のインパクトでした。
上映が終わったあと、劇場のあちらこちらから拍手が湧き上がりました。こんな体験も初めてでした。

そして、冒頭に書いたように「このような映画が、まだまだ上映できる日本でよかった」と感じたのですが、同時に、この先はたして、このような映画が上映できる世の中であってくれるのだろうか、という不安も起こりました。

映画を見た後、YouTube上で、舞台挨拶の様子も見ました。監督自身、最初に企画が動き出した時に感じたキャスティングの危惧について、こう述べています。

どう考えても反日映画と批判され、上映中止運動が起きて、劇場どこもやってくれないということになったら、俳優には何もメリットがない

確かに、今の世の風潮からすれば、このような映画は、「左寄り」「反日」の言葉で非難される可能性は、十分にあったと思います。それでも、この映画に意義を感じて作り上げた監督、俳優陣、その他の関わった人たちの想いと勇気にこそ、学ぶべきことがあると思います。

少し政治的な話になりますが、例えば韓国での従軍慰安婦問題にしても、韓国側の対応にも、正直私は問題を感じてしまいます。また、強制ではなかったという意見もあり、どこまでが事実かはっきりしない点もあるかと思います。
ですが、実際に軍隊を差し向けて、その国に乗り込んでいったのは事実です。そのことをまず置き去りにしてはいけません。
これはとても単純な話で、どんな理由であれ、誰が他国に入り込んでいったのか、それがまずスタートなはずです。そもそもそれがなければ、従軍慰安婦問題も起きなかったと思います。これは「左寄り」「右寄り」「反日」「嫌韓」の話ではありません。

繰り返しますが、このような映画が作られ、上映できる世の中であってよかったと思いますし、ちょっとした何かがあれば、このような映画は排除される世の中になってしまうとも思います。
では私に何ができるのでしょうか。そう思い、まずはこのブログで紹介させてもらいました。この記事をアップした時点では、すでに見ることのできる劇場は限られているとは思いますが、ぜひ見てもらいたい映画です。

なお、舞台挨拶の様子ものせておきます。


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