残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、いよいよ60歳代に入りました。本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

今も残る言葉 「お金がなくてもいいじゃないですか」

前回の記事で、阿満利麿先生の著作、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)に書かれていた「聞く」ことについて触れました。
阿満先生は「聴く」ではなく「聞く」、つまり自分の意思をもって注意してきくのではなく、何かの拍子にふっと耳に入った言葉の方が残っていると言います。それは、自我が緩んだ時に、真実の言葉が自然に聞こえてくるからだと言うのです。

確かにそうです。
私にもそのように、心に残っている言葉がいくつもあります。なぜ、あの言葉が記憶に残っているのか、不思議に思えたりもするのです。
その言葉が心に残っているということは、きっとその中に私にとって大切な意味が含まれているのでしょう。

そういう私の中に残っている言葉の中から、阿満先生の言葉をひとつ、取り上げてみます。
もっとも、これから書くことは、阿満先生が言うような、真実を感じ心に残った言葉とは少しニュアンスが違うかもしれません。
何気ない内容といえばそうなのですが、それでも私にとっては大切な何かがあったから、記憶に残っているのだと思います。

*     *     *

もう3,4年前になるでしょうか、京都の法然院で阿満先生の講義が行われ参加しました。
講義の最後に、参加者と阿満先生の質疑応答が行われ、ある人が質問に立ちました。

その質問の内容自体はすっかり忘れているのですが、一連のやりとりの中で、質問者が阿満先生に、「それでもやっぱり、お金は必要で、稼がないと…」というような意味の言葉を返したのです。
それに対して阿満先生は即座に、「なぜ必要ですか、なくてもいいじゃないですか」という返答をしたのです。阿満先生がキッパリと言い返したことを、よく覚えています。

私はハッとした気持ちにさせられました。
「お金が全てじゃない」「お金で幸せは買えない」とは、よく言われますし、そのことは私も肯定はしていました。
しかしその時は、阿満先生のなんの迷いもないような言葉を聞いて、それまでにはない強い感覚で「そうだ」と感じました。私は、何か力づけられたような気がしたのです。

ですが、その後すぐ、その言葉に頷くことへの抵抗も生まれました。これは決して阿満先生を批判する気持ちや、「やっぱりお金は必要だ」という思いがわいてきたのではありません。
「お金が必要なのか」という言葉に、深く頷き、力づけられた気持ちになったのと同時に、頭に浮かんだ思いがあったのです。
それは「阿満先生は、そうかもしれないけど…」という思いです。

*     *     *

それは、阿満先生自身は、おそらく金銭的に苦しいわけではないだろうと、私には感じられたからです。

私から見た阿満先生は、京都大学を出て、NHKに就職して、その後は大学教授も勤められて、著作も多数あり、このように講演も行っている、素晴らしい経歴の持ち主です。
実際は大学教授の先生たちも、それほど経済的に潤っているわけではないそうですが、そうはいっても、さすがに日々の暮らしに困窮して、いっそのこと生活保護を申請しようか悩んでいたり、スーパーの閉店間際に割引きシールの付いた食品を探す生活ではないと思います。
そういう人から「お金は本当に必要ですか」と問いかけられても、やはり「そうは言っても…」という思いがわいてくるのです。

その後、その時の阿満先生の言葉は、私の中に幾度となく思い返されてきました。
そのたびに、「そうだ」と頷き、でも次の瞬間には「阿満先生、そうは言っても…」と思うことの繰り返しでした。
そして近頃、そういう私の考え方に、おかしな点があることに気が付きました。

*     *     *

私は、以前も記事に書いたように、破産も経験しているので、今は決して豊かな暮らしではありません。貯金もほとんどありません。
私は、そんな自分が「本当にお金は必要ですか」と言っても、単に負け惜しみにしかならないだろうと思っていたのです。

でも一方で私は、お金がある人が「本当にお金は必要ですか」と言うと、それはあなたに余裕があるからだと思うわけです。
お金がない人が言うと、それは負け惜しみだと受け止める私がです。
一体私は、お金に対してどういう考えをもっているのでしょう。
そしてある時、思ったのです。

お金に余裕がない今の私が「お金は必要ない」と言うことに抵抗があるのは、他人の目に負け惜しみと映ってしまうのが嫌だ、というのが大きな理由ではないでしょうか。
お金が大切か、本当に必要か、が問題なのではなく、他人にどう思われるのかが、私にとっての一大事なのです。

では改めて、私にとって本当にお金が大切で、必要なのでしょうか。
実際に生活ができないと、それは困ります。ですが、今の私は余裕はないにしても、生活はできて、お酒を飲んだり、時々好きな登山やスポーツ観戦に行ったりして、多少の楽しみも持つこともできているのです。

阿満先生は、お金は「なくてもいいじゃないですか」と言いきりました。
完全に金銭的な欲望を断ち切ることは、私には無理だと思いますが、今の私の暮らしを思うと「これで充分じゃないか」と思えてきます。
でもそう言い切れない気持ちの奥底には、他人の目に対する見栄があるのです。お金が無い者の負け惜しみだと思われたくない、という見栄です。

おそらく私は、「お金がなくてもいいじゃないか」と心の底では思っているのではないでしょうか。そして、その気持ちを邪魔しているのが周りの目を気にしている「私」です。
そんな自分に対して何か違和感を感じていたから、あの阿満先生の言葉が、私の無意識の中に飛び込んできた言葉として、ずっと残っていたのかもしれません。