残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』名越康文

『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』
名越康文 PHP新書 2014年11月28日発行

精神科医である著者が、タイトルにある根源的な問いかけについて考えていきます。
著者がそのような問いかけを持つに至った経緯も語られています。そして、自身を仏教の専門家ではないという著者は、宗教家ではない私たち一般人と同じ目線に立って、この根源的な問いかけの答えを探してくれます。

 


 

 「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いかけに対して、著者はある答えを出しているのですが、その答えはここには書きません。それを明かしてしまったらこの本の大切なところを明かしてしまいます。

ですが「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いへの答え以外にも、この本には随所に「ああ、そうか」と考えさせてくれるところが沢山あります。
医学の勉強をしてきて、精神科医として医療の現場で様々な人に出会ってきた経験から、通常の宗教関連の書籍とはまた違った説得力を持つ内容になっています。

特に前半部分は著者の経歴も含めて、分かりやすく興味深い内容になっています。

精神医学や心理学も学んできた著者が、なぜ仏教を選んだのか。
効果を期待し実践することには落とし穴があること。
「心」とは一体何か、それはコントロールできるものなのか。
仏教で最も人間の能力を損なう害とされている「怒り」、それを克服することはできるのか。
そして、その方法としての「行」について、後半部分に触れられています。

このように書くと、この本が自己啓発本やハウツー本の一種かと思われるかもしれませんが、違うのです。そうではないところがこの本の特徴で、それをここに書こうとすると、内容をそのまま書くしかなくなってしまいます。

これでは本の紹介にも、私の感想にもなっていませんが、もし興味を持たれた方がいれば、一読されることをおすすめします。