残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

仏像にまつわる思い出話~弥勒菩薩半跏像~

今回は仏像にまつわる思い出話を書いてみます。

 

私は十数年前から京都が好きになり、それ以来、年何回か訪れています。
ですが、京都に行くようになったから、今のように仏教に関心が起きたわけではありません。つい一年ほど前までは、京都で好きなところは仏像よりも、庭園や桜・紅葉であったり、街歩きや食べ物だったりしました。

ところがこの一年ほど、私が京都に行きたいと思う気持ちのなかに、阿弥陀様の姿を見たい、と思う心が起きてきたのです。
それまでは仏像などには興味がなく、阿弥陀如来像と釈迦如来像の違いも大して知らなかったのに、です。

果たして、偶像崇拝というものが仏教、特に浄土の教えではどう扱われているのか、私にはよく分かりません。
そもそも阿弥陀仏が存在するならば、寺院に安置されているような姿であるはずはないのです。経典を読んでもそれは分かりますし、色も形もない、人間に真理を知らしめるための方便の姿が阿弥陀仏だという話も聞きました。
そのことは、よく理解できます。

しかし、形になったものがあると、「本当はこういう姿ではないんだ」と分かっていても、手を合わせたくなります。信仰心があるならば、家で仏さまを想い拝めば十分だと思うのですが、やはり「仏像」というシンボル、偶像の存在は、私にとって決して小さくないのです。
これは私の弱さからくるものかもしれません。

昨年の夏や今年の正月にも京都へ行き、三千院知恩院などへ行きました。その理由には、阿弥陀様の像を拝みたい、という思いがあったのです。
それまで、京料理を楽しみにしたり、禅寺の庭園を眺めることが好きだった私にとって、大きな変化でした。

 

十年ほど前、京都へ行ったときに、繁華街のとあるバーで女性のバーテンさんに会いました。繁華街で夕食を食べ、その後そのバーに寄ったのです。
その人は三十代半ばくらいの人だったでしょうか。京都以外の他府県の出身で、京都に住み始めて数年たつそうです。
京都のおすすめどころを聞くと、広隆寺だといいます。広隆寺の中でも、弥勒菩薩半跏像を勧めてくれました。その人は度々、弥勒菩薩半跏像を拝みに広隆寺を訪れているらしいのです。

お酒がすすんでリラックスしてカウンター越しに話してるうちに、その人は言いました。
弥勒菩薩半跏像があるから私は京都にいる、弥勒菩薩半跏像があるから今の自分は生きていける。
私はその時、その思いがけない重みのある言葉にドキッとしてしまいました。

私はそれまで、広隆寺に行ったことがなかったので、翌日早速行ってみました。
そこで初めて実物の弥勒菩薩半跏像を見ました。まず感じたことを正直に書くと、今思うと本当に恥ずかしいのですが「意外と小さいな」と感じたのでした。
その当時、弥勒菩薩とはどういう存在なのかもしらず、私にとっては、いわゆる骨董品の一つを見にいくくらいの気持ちだったのでしょう。

一年後に同じバーにいくと、その人はもういませんでした。店のスタッフに聞けば、もし他店に移ったならば教えてくれたかもしれませんが、特に聞くこともしませんでした。おそらく今も京都のどこかで暮らしているのだろうと、思いました。

しかし、その人の弥勒菩薩半跏像に対する言葉は、その後も私の中に残り続けました。
いったいなぜ、一つの仏像にそこまで思い入れることができるのだろうか。私にとっては不思議でした。

 

十年ほどたった今、今度は私が、阿弥陀如来像に会いに京都へ行きます。
本当に縁というものは分かりません。その人の言葉を聞き、その言葉を十年近く覚えていたのも、今の私になるための準備だったのでしょうか。

その人が、弥勒菩薩半跏像に対してどういう想いを抱いていたのか、何があってそういう想いを抱くようになったのか、知るすべはありません。
ですが、今の私には、何か分かる気もするのです。

仏像と言っても、所詮、木の彫刻品です。本当の仏さまは、あのような姿はしていないし、仏像がなければ安心できないなんて、信仰本来の姿勢とは違うと思います。
ですが、弱い弱い私のような人間にとっては、目に見えるものがあり、それに向かって手を合わせることが、何か一つの、心の励みのようなものになります。
仏様はそういう私を見て、「私はそこにはいないよ、私はそういう姿ではないよ」と笑っているのかもしれませんが、でもきっと、そういう愚かな私だからこそ見守っていてくれていると思うのです。