残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

褒められたい自分

よい生き方をしたい。
そう思うと、私にはいくつかの障害があることに気が付くのです。

もっとも、よい生き方というのも、正直私にはまだ分かりません。
よく生きるためには、いろいろな要素があると思いますが、ひとつ思い浮かぶのは何かに囚われたりしない生き方ではないか、と考えることがあります。
お金に囚われないことなどは、とても分かりやすい例です。

だけど私にとって、とても困難なこと、どうしても囚われてしまうことがあります。
それは他人からの評価、他人からの視線です。
これは50歳半ばを過ぎて、何年後かには還暦を迎えようという年齢を考えると、自分でも驚きなのです。
こんな年齢になっても、人の目や評価を気にしているのかと。

そしてこれは、私が小学生のころから変わらないのです。
おそらく、社会性が身に付きつつあるころに芽生えて、ずっと変わらなかったことです。
どこを褒められたいか、どういうことで人の目を気にしてしまうのかは、若いころから変わってきてはいます。
例えばもう年ですから、今は容姿をどう思われるかについてはそれほど気になりません。
私は、美男子ではないのですが不細工でもなく、背は高くスリムなので、そのことは若いころからよく褒められました。
褒められるといい気になってしまい、自分がどう見られているか、余計気にしてました。

だけど、さすがに容姿に関しては50歳を過ぎて、ほとんど他人の評価を気にしなくなりました。
今でも、お世辞もあるかもしれませんが「50過ぎに見えませんよ、若いですね」「スタイルいいですね」と言われることはあります。ですが今はそういう誉め言葉を聞いても、こんなオジサンに何を言うのか、と思ってしまいます。

それでも今も、いくつかの事柄に関しては、褒められたい、凄いと言われたい気持ちを持ってしまうのです。
このような気持ちが、私の生き方を自分で苦しいものにしているのではないか、私がいい生き方をする大きな障害になっているのではないか、と思います。

だけど、変われないのです。
なにしろ小学生の頃からそうだったのですから、この先死ぬまで変わらないと、ほぼ断言できるのです。
これも一種の欲だと思います。
欲は消せればいいのですが、消せません。
「褒められたい」「凄いと思われたい」というこの欲も消すことはできません。

欲が消えれば、本当にいいと思います。
ある種の欲、例えば物欲などは、若いころに比べてだいぶなくなりました。だけど、いまだに残る欲はあり、その中でも、一番私にとって手ごわいと思える欲が、「褒められたい」「凄いと思われたい」という欲なのです。

私はそれこそ凡夫だから、欲をなくすことはできないのでしょう。
解決方法は見つかりません。
欲がなくせる方法を今も探していますが、もうそれは無理だろうとあきらめてもいます。