残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

「ネクラ」と「負け組」

30年以上前、私が大学生のころに「ネクラ」という言葉が生まれて急速に広がりました。性格のことを明るい暗いと表現することはそれ以前からあったと思いますが、根が暗い、つまり「ネクラ」という言葉がその頃現れたのです。

その当時、私の周りの空気は、ネクラ呼ばわりされることを極端に避けようとしている感じを受けました。それはそうです。「あいつはネクラだ」と言われるのはやはり嫌だし、集団の中でそういうレッテルを張られてしまうのは怖いものでした。私も人付き合いが苦手で無口なタイプだったので、ネクラ呼ばわりされることを恐れる気持ちがありました。

一方で私は、ネクラという言葉がはやりだしてから、やたら周りが必要以上にはしゃぎだす印象を受けて、それがとても嫌でした。
例えばコンパなどでも、とにかく皆テンションを上げて、しゃべらない人を「おまえクラいな」と言うわけです。自分がネクラ呼ばわりされないために、テンションを上げて他の誰かをネクラなやつに仕立て上げているように私には見えて、とても嫌な感じを受けました。

そんな私は「他人を暗いなんて言うヤツこそ暗いじゃないか」とか「明るい暗いっていったって、単におしゃべりか無口の違いだろ」とか「そもそも、根っから明るい人間なんているのか」とか考えていました。
ですが、そういうことを考えてしまう時点で「ネクラ」という言葉にとらわれ振り回されていた訳で、実際私は「ネクラ」と呼ばれるのを恐れていたのです。

 

ここ数年「負け組」という言葉を頻繁に目にするようになりました。この言葉は、かつて「ネクラ」という言葉が生まれた時に感じた嫌な気持ちを、私に思い出させます。

この「負け組」というのは、主に経済的な成功、不成功を指しているのだと思います。
こう考えると私は完全な「負け組」です。ほとんどの人が今の私の状況を聞けば「ああ、負け組だね」と思う気がします。だからよけいに私は、かつて「ネクラ」という言葉が生まれた時に感じた嫌な空気を感じるのかもしれません。あの当時も「ネクラ」という言い方に反発する一方で、私は自分はネクラなのかもしれないと思い、そう呼ばれることに恐れを抱いていました。

 ですが、今の私はそれほど「負け組」と言われることに、恐れは感じていないのも事実です。「負け組」と言われることを想像してもあまり心が乱れません。
当然今でもお金は欲しいですし金銭欲がなくなったわけではありません。ではなぜ私は「負け組」という言葉に大きく心が乱れないのか、理由を考えてみました。

気が付いたのは、簡単に言えば、「それどころではない、そんなことを気にして考えているどころではない」というのが大きな理由でした。
「負け組」と言われようが、仮に実際そうだったとしても、そんなことより日々短くなっていく残りの人生をどう生きていくのかが今の私にとっては重要で、「負け組」か「勝ち組」かなどは大した問題ではありません。
これは年を取ったから、ということが大きな原因でもあるでしょう。年を取り、だんだんと死が現実味を帯びてきた今、確かにお金は欲しいですし大切ですが、経済的な勝ち負けは私にとって、もはや一大事ではないのです。

ただ、私のように50代後半の人間と違う若い人たちにとっては、この「負け組」という言葉は重いだろうと思います。
かつて「ネクラ」という言葉が広がった時のように、「負け組」と呼ばれることを恐れている人たちは沢山いる気がします。ネットの世界でも、この「負け組」という表現をよく見かけます。自分で自分のことを「負け組」といっている人を見ることもあります。
そういう人たちには、「負け組」という言葉にとらわれることなく自分の今の「生」を第一に考え、これからの生きる道を堂々と歩んでもらいたいと思います。そんな「負け組」などという言葉に振り回されてほしくないのです。
もっとも今実際に経済的に苦しい人、挫折感を味わっている人からすれば、「自分は負け組だ」という思いから解放されることはなかなか難しかもしれません。

それでも私は思うのです。
私は今、「勝ち組」「負け組」よりも、もっと大切なことがあると感じています。人から見たらそれは負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、そう思われることすらも大した問題ではありません。もっともっと、自分が求めるべき大切なことがあるはずです。
ですが、その大切な何かを今の私にはまだ明確に説明できません。それができれば若い人たちにとっての良いアドバイスになるのでしょうが、残念ながらまだできないのです。

何の結論も解決策もない内容になってしまいましたが、もしこの記事を目にした若い人で、「自分は負け組かも」と感じている人がいたら、どうかその言葉に振り回されないでほしいです。
まずは「自分は負け組だ」などと書いたり言ったりせず、「負け組」という言葉を使わずに、自分の中から「負け組」という言葉を消すことから始めてほしいと思います。