残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

法然院「新春法話」を聞いて ~私は極楽浄土を信じているのか?~

今年(2020年)のお正月は京都で過ごし、法然院で行われた梶田正章住職による「新春法話」を聞いてきました。
実は今回の法話を記事にするつもりはありませんでした。なかなか聞けない法然院での法話なので、いつも以上に聞くことに集中したかったのです。このブログを始めてから、後で記事することを意識しだすと、聞くことに集中できない弊害が起こることも気になっていました。

ですが1月下旬になっても、まだ頭に残り度々思い返す話がありました。私にとって印象的なことだったので、そのことだけでも書いておこうと思いました。
今は印象に残っていても1年後には忘れてしまっているかもしれない、と思うと、やはり書き留めておこうと思ったのです。例によって、私のあいまいな記憶と独自の解釈によるので、きちんとした記録ではないのですが、興味があれば読んでみてください。

 


 

さてその内容は、というと、法話の直接的な内容ではないのです。法話を終えた後、ご住職は「何か聞きたいことはありますか」と参加者の質問を受け付けてくれました。私の印象に残ったのは、その中の問答でした。

ある方が「私が行くお浄土と、他の人がいくお浄土は一緒ですか」と聞いたのです。
ご住職の答えは概ね次のようでした。

「一緒といえば一緒でしょう。仏になるということは実は、阿弥陀様のように自分の国土を構えるということ。一国一城の主みたいですかね。そこは阿弥陀様の浄土と同じ浄土ともいえるわけです」

私の受け止め違いもあるかもしれません。ご住職がこの記事をみたら「私が言ったことは違うのになぁ」と思うかもしれません。あくまでも私の記憶、そしてその解釈ですが、それぞれが仏になって、それぞれの仏の国を持つという答えでした。

私はまずそれを聞いたとき「いやだな」と思ったのです。
せっかく、阿弥陀様の素晴らしい国に生まれたのに、一人前の仏になったら出ていくのか、ずっと阿弥陀様のところにいさせてくれないのかな、と思ったのです。
そして、もう他界した母とも会えず、一緒にいられないのか、と思ったのです。
ところでまず、こう書いている時点で、私がどれだけ極楽浄土を信じているのか、という問題がありますが、それは後で触れたいと思います。
とにかく、それを聞いた私はそう感じて少し寂しく心細くなったのです。

ですが同時に浄土三部経の内容を思い出しました。最近読んだばかりなので、しっかり理解できていないと思いますが、浄土三部経の内容が頭に浮かんだのです。

例えば「阿弥陀経」の中に、極楽の人々は朝、花を器に盛り他の数限りない仏の国々を訪れて、朝食までの短い時間、つまり瞬時に行って帰ってこれると書いてあります。
また「無量寿経」の本願の中にも、極楽の人々は瞬く間に仏の国々を飛びめぐることができる、とあります。
観無量寿経」には極楽の樹木から放たれた光の中には、あらゆる仏の国々が映し出されている、ともあります。
阿弥陀仏の国に生まれれば、他の仏の国を見ることも、そこに行くこともたやすいことのようです。私自身が自分の国土を持ったとしても、阿弥陀仏の国土のようにお互いの国土をいつでも見ることができ、自由に行き来できるならば、一人で寂しいこともないでしょう。もっとも、仏になったら寂しい気持ちもないのかもしれませんが。

 


 

ご住職は参加者から質問が出るのを笑顔で待っていました。私も聞きたいことがある気がしたのですが、まさか質問を受けてくれるとは思わなかったので、聞くことができませんでした。
この記事に書いた疑問は、その時浮かんだのですが、即座に言葉にして問い返すことができなかったのです。ぜひまた機会があれば、法然院にお伺いして、ご住職に聞いてみたいと思います。

ところで、先ほど書いた疑問、「私はどの程度、極楽浄土を信じているか」です。
ここまで読んだくれた人は「あなた、完全に信じているでしょ」というかもしれません。
でも私はまだ信じ切れているか分からないです。単なる興味、好奇心からかもしれません。自分が信じているのかどうか、それすらも分からないなんて情けないですが、それが今の私の正直な気持ちです。
ですが、残り少ない人生です。ただ単なる好奇心や知識欲から、本を読んだり人の話を聞きに行くことはしたくはない、とは思っています。