残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

酒井義一氏のご法話を聴いて

今年(2020年)に入ってコロナウイルスの影響があり、講演や法話を聴く機会が少なくなってしまいました。そこで、Youtubeなどのサイトで講演や法話を聴く機会が多くなりました。
その中で、つい数日前に視聴した法話について、書きたいと思います。
講師の方は存明寺ご住職の酒井義一氏で、2016年のものです。酒井先生はグリーフケアに関する活動もされているようです。

もっとも、私の感想を読んでもらうよりも、ネットで公開されていますし、直接聞いていただいた方がはるかにいいと思いますので、私の感想の後に動画を埋め込みたいと思います。

少し前に、私は自分の挫折歴にふれました。それは、事業に失敗して破産したことです。もう一つ付け加えれば、同じ時期に家庭も崩壊したのです。
ちょうど、事業に失敗したことをブログに書いた直後に、この法話を視聴しました。
まさに、私が挫折をして、新しい生き方を求めてこのブログも立ち上げたこと、そのことを、酒井先生のお話は指摘しているように感じたのです。

法話の中で、強く印象に残っている点は二点でした。どれも私のことを話しているのだ、と思える内容でした。
詳しく書くと、話の内容そのものになってしまうので、詳しくは書きません。そのうえで、興味がある方は、是非とも動画を視聴してみてください。

その印象に残っていることの一つは、法話の中に出てくる傘地蔵のお話にあるような内容のことです。
もう一つは、人は自分の悲しみや苦しみを語ることができる居場所を求めている、というお話です。
特に後者は、私がこのブログを立ち上げたのも、その理由からなのかもしれない、と感じました。

この法話を視聴した後に思いました。
新しい生き方をを求めている私ですが、何か具体的な動きを始めているのだろうか、ということです。このブログもその動きの一つかと思いますが、このブログは独り言の世界です。

何かを始めたい。ダメダメではあったこれまでの生き方ですが、その生き方も「よかった」と思えるようにしたいのです。
それは、自分一人の世界だけを考えるのではない、決して大げさで派手なことではなくても、行動をして実践していく道を私は欲しているのだ、そう思いました。

 


大谷祖廟 暁天講座(2016年8月2日 酒井義一氏)