残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』を読んで(その1)

少し前になりますが、京都の法然院で、『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』(田坂広志=著 光文社新書)という本を題材に、意見を述べあう集まりがあり、参加してきました。
事前にその本を各自読んできて、感じたことを話し合うのです。今回、対象となった本のタイトルに引かれたこともあり、書籍を購入して参加しました。

様々な意見や感想が出され、その中で私も自分の感想を述べさせてもらいました。
元来、人前で話すのが苦手なため、しどろもどろでしたが、一応自分の感想を述べました。そして、改めて自分が話したことを振り返ると、今一度、自分の考えを整理して書き留めておきたいと思い、このブログの記事にすることにしました。
私はどちらかというと批判めいた感想を述べたのですが、一方でこの本をきっかけに、大切なことを考えさせられたからです。
(なお、長くなったため2回に分けました)

*    *    *

批判めいた、と書きましたが、内容そのものは、なるほど、と思わせてくれるものでした。
この本の概要は、ある科学的な仮説を元に、私たちの「意識」が、死後どのようになっていくのかを解き明かすものです。
その元となる仮説を極めてザックリ書くと、宇宙には「ゼロポイントフィールド」という「場」があり、そこにはこの宇宙の出来事のすべての情報が記録されている、という仮説です。その情報には個人が思ったことも含む、あらゆることが含まれます。そして私たちの意識は、「量子レベル」で、それら「ゼロポイントフィールド」の情報にアクセスすることができます。
その仮説にたてば、「予知」「直観」などの不思議な現象は、「ゼロポイントフィールド」に私たちが無意識の領域でつながったからだ、と説明できます。さらにその仮説からは「臨死体験」「死者との交信」なども説明でき、私たちの意識が死後どうなるのかも導き出せるのです。
これだけ書くと、なにか胡散臭いと感じるかもしれませんが、本の中では科学的な説明も行われています。

このブログで度々書いてきたように、私は、量子力学不確定性原理、また宇宙の誕生などに興味がありました。もちろん素人のレベルですが、そういう私の知識からすると、この「ゼロポイントフィールド仮説」は、十分にあり得ることに思えました。

そして、この「ゼロポイントフィールド仮説」によれば、浄土や阿弥陀仏の存在も説明できるのではないかと思い、驚きました。
『大無量寿経』に書かれている、阿弥陀仏の本願の説明もできてしまう印象を受けたのです。
例えば第五願、極楽浄土に生まれたら、自分の前世も含めた全ての過去を知ることができる「宿命通」を得られる。また第八願、極楽浄土に生まれたら、あらゆる仏国土の人々の心を知り尽くす「他心通」を得ることができる。それらの、極楽浄土に往生したら得ることのできる不思議な力も、ゼロポイントフィールドに蓄積された情報にアクセスすると考えれば、説明ができるのです。

しかし、このように私にとって「なるほど」と納得できる内容なのですが、私が感じたことは、むしろ否定的なものでした。

*    *    *

この本の中には、著者の田坂氏が体験した過去の不思議な体験、「予知」や「直観」に基づく体験がいくつか書かれています。そして、それらが「ゼロポイントフィールド」につながった結果として、仮説をもとに説明されています。(以下は、あくまでも著者が「仮説」をもとにして考えたことです)

例えば、田坂氏は大学受験時の合格体験をあげています。
田坂氏は、体調を崩し絶望的な状況で入試当日を迎えたのですが、試験直前に見直した内容が試験に出て、合格することができたのです。
「ゼロポイントフィールド」につながることによって、あらゆる情報を瞬時に得ることができます。それにより無意識のうちにも未来を予知して、自分が望んだ行動を取ることができる。つまり、運気を引き寄せることができる。そのような著者の不思議な体験が列挙されています。
そして、『直感を磨く』という田坂氏の別の著書では、「ゼロポイントフィールド」につながるための「心の技法」に触れているそうです。

しかし、私にとって、どうしても引っかかる点がありました。
「ゼロポイントフィールド」につながるために「心の技法」をみがく、その結果「ゼロポイントフィールド」につながれば、運気を自分に引き寄せることができる。
既に書いたように「ゼロポイントフィールド」自体は、私からすれば納得できる仮説です。
しかし、そもそも運気を引き寄せるとは何でしょう。

それは、自分の希望を叶えるため、つまりは自分が成功するためのものではないでしょうか。
そして自分が成功するということは、その陰には競争に敗れ、失敗して挫折していく人がいるはずです。厳しい言い方をすれば、人を踏み台にしていく手段を手に入れることが「心の技法」をみがき「ゼロポイントフィールド」につながることなのか、と感じるのです。
例にあげていた合格体験にしても、田坂氏が合格したことによって、確実に誰かが不合格になっているのです。運気をあげて大きな仕事のチャンスを手に入れたその影には、そのチャンスを逃してしまった人がいるのです。

今私が指摘したことは、この本の主題から外れているのかもしれません。
著者がこのような私の感想を聞いたら、「いや、そもそも、そういう内容の本ではないから」「それならば、私が書いた別の本、『○○○』を読んでから意見して欲しい」と言うかもしれません。
この日の参加者の中に、この著者の他の著書もたくさん読んでいる方がいました。その人の話によると、別の本では、運気が悪くても最終的にはそれらも全て引き受けていくことに結論が導かれているそうです。そうなると、私の指摘は一面的なのかもしれません。
ですが、この本の内容は、あまりにも、自分の成功の裏には多数の人の挫折があるという事実を置き去りにしているように思えました。

(その2に続く)

thinking-about.hatenablog.com