残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

私とピアノ ~再び楽器を手にして~

今回はかなり個人的な内容です。まあ、いつもそうなんですが…。

私はかつて音楽が好きで、20代の頃は自分でバンド活動をしつつ音楽関係の仕事をしていました。といっても、そんなにメジャーな仕事ではありません。一般の人が知らないような裏方的な仕事は音楽業界にも色々あるのです。そして30代から10数年間は音楽学校で働いていました。

弾いていた楽器はピアノ、キーボードでした。好きだったのはジャズですが、ロックやポップスも好きでした。もっとも弾くのはそれほど上手くなかったので、演奏の仕事はほとんどしませんでした。
30歳を過ぎてからは、人前で演奏したり毎日練習することはなくなりました。それでも時々、自分の楽しみとしてピアノは弾いてきました。コード譜を見て、ジャズ、ロック、Jポップ問わず様々な曲を、弾きたいように弾くのが好きでした。

しかし、4年前に、一切ピアノを弾くことをやめたのです。

そのころ私は離婚をして、妻や子供たちがいなくなった家に一人残りました。そうして、一人残された家でピアノを弾いていた時、ふと感じたのです。
私は常に人に褒められたくてピアノを弾いてきたのだ、と。

一人の部屋で弾いている時も、頭の中にうかぶイメージは、人から称賛されることです。そして上手く弾けたら心の中で得意になる、そういう自分が常にいることに気が付いたのです。
人に聞いてもらうことをイメージして練習することは、20代の頃、バンド活動をしていた時には当たり前のことで、むしろそういうイメージを持って、日ごろから練習するのが当然と思っていました。
その癖が染みついてしまったのでしょうか。それとも元々私はそういう人間なのでしょうか。
おそらくその両方でしょうけれど、とにかくそういう自分が嫌になり、ピアノを弾くのをやめたのです。

ピアノが嫌になった、飽きてしまったという訳ではありません。
弾いている自分が嫌になったのです。ピアノに向かうと、そういういやらしい根性の自分が見えてきて苦しくなり、もう弾くのはやめようと思ったのです。
きっと私は音楽が好きで演奏してきた訳ではなかったのだ、そう感じたら、10代のころから音楽に熱中してきたつもりの自分は、いったい何をしてきたのだろうと思いました。

ほどなくして私は事業に失敗して破産しました。
ピアノはもちろん、家も手放すことになり、一人で部屋を借りて暮らし始めました。
その時、安いデジタルピアノぐらいは買おうか、と一瞬考えたのですが、すぐにやめようと思いました。
もう、ピアノは弾かなくていいだろう、私は音楽が好きでピアノを弾いてきたのではないのだから。

やがて新しい街に引っ越して、新しい仕事を始めました。身近に過去の私を知る人はいない中での生活が始まったのです。
私が過去、音楽関係の仕事をしていたこと、ピアノが弾けること、そのことは誰も知りません。また、私も音楽のことに触れる話はしませんでした。音楽の話になればきっと過去の自分を自慢したくなる、そういう自分を見たくありませんでした。だから趣味を聞かれても、音楽に関することは答えなかったのです。

ですが、それでも時々ふと、ピアノを弾きたい、という気持ちが頭をもたげてくるのです。
そのたびに私は、本当に弾きたいのか、それともやはり「オレは弾けるんだぞ」という気持ちが残っているのか、自問自答しました。そして結局、弾くことはしないで過ごしてきたのです。

その後、今から2年半前に自転車で転倒して、左手の薬指を骨折してしまいました。日常生活に支障はないのですが、以前のように左の指は上手く動かなくなり、また左手も大きく開かなくなりました。
ロピアノを弾くときは左手で10度音程、例えば「ド」の音から1オクターブ上の「ド」を越えて「ミ」まで手を広げて押さえたりします。おそらくもう、10度音程はとどかないでしょう。
きっと私に、完全にピアノを弾くことを断念させるために、何かの力が働いたのかもしれない、と思いました。

それでも時々、休日の公園でビールを飲んでいると、何かを演奏したくなり、好きな曲を口笛で吹いたりしました。ですが、口笛もなかなか難しく、かなり口が疲れるのです。上手く吹けません。
そうしているうちに、簡単な楽器でいいから、単音の楽器でいいから、自分が好きだった数々の曲を、もう一度、それこそ人生を終える前に弾いてみたい、そういう思いが強くなってきたのです。

そして悩んだ末、先月、鍵盤ハーモニカを購入しました。
約4年ぶりに手にした楽器でした。
デジタルピアノにはしませんでした。ピアノは、もうかなりのブランクがあるうえ、左手がうまく動かなくなった今、以前のようには弾けないことは明白です。おそらく今ピアノを弾いたら、とても悲しく寂しい気持ちになるでしょう。
また、気持ちも新たに何か新しい楽器を演奏したいと考えたのです。ですが、全く経験がないと、それはそれで大変です。そこで、口で吹くという自分にとって未経験の楽器でもあり、でも鍵盤がついていて取り掛かりやすい鍵盤ハーモニカにしたのです。

集合住宅の自室では、音が出る楽器は演奏できないので、公園や河原で演奏することにしました。
そうすると、また私に不安な気持ちが起こります。
野外で演奏するということは、やはり自分は誰かに聞いてもらって称賛されたいのではないか、ということです。

どうなのでしょう。自分の本心はよく分からないところもあります。
正直、誰かに聞いてほしい、褒められたい気持ちは今でもあります。それは私からなくならない気持ちでしょう。そして、ずっと演奏を続けていけば「オレはこれだけ弾けた、どうだすごいだろう」という気持ちもきっと起こるでしょう。
ですが、やはり「演奏したい」という気持ちもあるのです。

今、公園や河原で、演奏をしています。時には缶ビールを片手に。
自分の心に「お前は本当に弾きたいの?」「嫌な自分が見えたらやめちゃいな」と語りかけながら演奏しています。
以前は、一人で演奏(練習)しているときも、ミストーンやテンポの狂いを気にしていました。でも今は、そういうことも気にしません。大げさに聞こえるかもしれませんが、これが人生最後の演奏になるのかもしれない。そんな時に、ミストーンなんて気にしていられません。
そういう気持ちで演奏していると、とても気持ちが楽で、楽しいことに気が付きました。
もっとも、聞いている人からすると、ミスが多い演奏は聞いてられないでしょうから、迷惑にならないよう出来るだけ人のいない場所を選んで演奏していますが。

私と楽器の新しい付き合い、そしておそらく人生最後の付き合いが始まりました。
嫌な自分が現れたらすぐに演奏をストップしようと、自分の心を確認しながら私は楽器を手にしています。