残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

前回の記事「私とピアノ」を書いた後

つい先日書いた前回の記事で、私が約4年ぶりに楽器を手にしたことを書いたのですが、その後、改めて気が付いたこと、考えさせられたことがありました。

以前このブログで紹介した、阿満先生の本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)を最近また読み返していました。

thinking-about.hatenablog.com

そして、前回の記事「私とピアノ」をアップした後、次のような阿満先生の言葉が目に留まったのです。

私は最近つくづく思うのですが、「煩悩」という言葉を仏教から教えてもらったけれども、実際、私たちは「煩悩」がどれほどに分かっているのでしょうか。言葉として「煩悩」は欲が深いとか怒りやすいというのは分かるけれども、心の底に突き刺さるような感動を「煩悩」という言葉から受けるかというと、どうもそういうことは少ないように思います。

心の底に突き刺さるような感動も「煩悩」である…。
確かにそうです。そのことは、私も以前から理解していたつもりでした。そして「感動」を得ることから生まれてくる苦しみもあることも理解していたはずでした。
「感動」が苦しみも生むことについて、私は3年近く前の記事にも書いていたのです。

thinking-about.hatenablog.com

しかし、今回楽器を手にしたのは、やはり音楽から得る「感動」を求めてのことでしょう。それは「煩悩」なのだと自覚することなく、私は再び楽器を手にしたのです。
そしてきっと、この「煩悩」が何かしらの形で自分に苦しみを与えることになるのでしょう。

たかが楽器ひとつで大げさな、と思うかもしれません。
確かに、人生における様々な問題に比べれば、この件はそれほど大きな問題ではありません。ですが、「煩悩」が「苦しみ」を生み出すこと、その「煩悩」はなかなか自分には分からないことを端的にあらわしている気がします。

実際、楽器を公園や川原で弾き始めてから、すぐそばで楽器の練習を始める人の音が気になったり、演奏するいい場所がなくてイライラしたり、人に聞いてもらっている自分を意識しては嫌な自分が見えて苦しくなったり、様々な思いが起こってきていたのです。
この状態こそが「煩悩」にからめとられて、新たな苦しみを生み出している状態なのでしょう。

では、「煩悩」をおさえるため、自分の苦しみを少しでも無くすために、やはり私は楽器を手にするべきではないのでしょうか。
そんなことは、できません。
この「できません」には二つの意味があります。
「したくない」という思いと、「不可能だ」という思いです。

「したくない」という気持ちは、文字通り楽器を演奏したい、という気持ちです。
そして「不可能だ」とは、それができなかったからこそ、今回、何年ものブランクがあったにも関わらず、強い抵抗感があったにもかかわらず、楽器を購入したという事実です。
つまり、私は「煩悩」から離れることはできない存在であることが、このことからも明らかになったわけです。

それでもやはり、この「煩悩」を押さえて楽器を再び離れることが、良いことなのでしょうか。
それは、今書いたように不可能だと思うのと同時に、それは違うのではないかとも感じました。

そもそも楽器を離れたとしても、「楽器を演奏したい」という思いから離れることなどできません。それによって楽器を弾きたいという「煩悩」から解放されるのでしょうか。つまり「自力」で「煩悩」を離れることは可能なのか、ということです。
自分の努力や精進によって「煩悩」を離れようとする、それが出来ると思っているのならば、それこそ私は単なる偽善者になってしまう気がします。
やめてしまえば、きっと「我慢する自分」を誇る気持ちが沸き起こるでしょう。それは、楽器を演奏したくて演奏している状態より、ある意味「タチが悪い」と思えるのです。

では、どうすればいいのでしょう。
今の私の答えは、念仏を唱える生活を続けながら、楽器を演奏したいのならば、演奏を続けるということです。

やめられないならば、続けるしかない。やめてしまって心の問題が解決することはない。
「煩悩」を押さえるという、できもしないことをするのならば、「煩悩」に流され、抗うことのできない自分の弱さをしっかり自覚して、それを認めるしかないと思います。
そして、その自覚によって、さらなる「煩悩」の深みに落ちていくことを防ぐこと、そして、その事を忘れないためにも、念仏を唱えることです。
念仏が私を「煩悩」の深みに落ちていくことを救ってくれるのでしょう。

*      *      *

今回、このことに気がついてから、前回の記事を削除しようか、と思いました。何か煩悩にまみれた自分が丸出しになっているようで、嫌になったのです。
ですが、自分の思いを整理して、前回の記事を書かなければ、今回の気付きもなかったと思います。だから、このまま前回の記事も残して、この記事を書くことにしました。

たまにしか更新しない独り言のようなこのブログですが、私にとって自分の考えを整理して記録していく、大切なブログなのだと改めて感じました。