残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

布施行について

前回、お金について書きました。
それに関連して仏教でいう布施について、思うところを書きたいと思います。

布施とは仏教では大切な行なのだ、という知識は、以前から知っていました。ですが、なぜその行をするのかよく分からず、結局「布施」とは法事の時にお坊さんに渡すお金のことではないか、ぐらいに私は思っていたのです。
だから「布施」という言葉には、何となく良い印象を持っていませんでした。お坊さんに払わなければいけないお金、というわけです。

ですが、この一年ばかり仏教関係の本を読み、考えているうちに、布施という行為はどういう意味があるのか、気になってきました。

歎異抄』の第十八条です。

道場や寺院に寄進する金品が多ければ大きな仏になり、少なければ小さな仏になるという主張は、言語道断であり、様々に道理にあわないことです。
(中略)
金品の寄進は、たしかに仏教の枢要な教えである「布施」行に相応するといえます。しかし、どんなに宝物を仏に捧げても、また師匠に施しても、本願に対する信心が欠けていますならば、私どもには救いとはならないのです。
(『歎異抄』阿満利麿=訳・注・解説 ちくま学芸文庫

この第十八条では、たくさんの寄付をすればするほど大きな仏になれるという説が広まっているのを、否定し戒めています。そして、信心がなければ、いくら寄付しても意味がないと訴えています。
これは、お坊さんに法事を頼むとお金がかかる、というような私の考えをひっくり返すような内容でした。
寄付すること、つまり布施は、仏教では大切な行である。だけど、まず大切なのは「お金ではないんだ」と言っています。

一方で訳者である阿満先生は、この第十八条の解説でこう書いています。

ただ、あえて付け加えておきたいことがある。それは、布施という行為の重要性である。布施は、人間の自己執着の度合いを自ら知ることのできる、ほとんど唯一の教えであろう。人に布施することによって自分がどの程度の人間であるかが分かる。

これを読んでから、私は布施というものに対して、それまでとは違った見方が必要なのではないかと考えるようになりました。布施とは何なのでしょう。

そしてその後『無量寿経』に出会ったら、そのなかにこういう記述がありました。
巻上のまだ初めのあたりに、菩薩が仏(ブッダ)になり人々に教えを説く場面が書かれています。

ブッダ釈迦牟尼世尊が旅をしたように、人びとの国におもむいて托鉢し、食物の布施を受けることによって人びとが功徳を積めるようにし、幸福の育つ田、すなわち福田となります。
(『全文現代語訳 浄土三部経』大角修=訳・解説 角川ソフィア文庫

驚くのは、ブッダが布施を受けるのは、与える人に功徳を積ませるためだというのです。ブッダのために布施をするのではありません。布施を与えるその人自身のために、人々は施すのです。

しかし、いざ他の人に施しを与えようと考えると、大きく二つの問題が私には浮かんできます。

まず一つ目は、どこの誰に施せばいいのでしょうか。
お寺や教会でしょうか、ユニセフでしょうか、街頭募金でしょうか。いずれにしても、せっかく寄付したのならば、有効に使ってもらいたいですから、しっかりした団体や、本当に困っているところに寄付したいものです。
しかし、ふと思いました。
「有効に使ってほしい」など、私が考えることではないのかもしれない。
誰の手に渡ろうと、どう使われようと、自分の持っているものを分け与えるのが大切なのかもしれません。悪い人に渡って、その人の道楽に使われても、その人の役には立ったわけです。そもそも、以前書きましたが、何が善で何が悪なのか、私には分からないわけです。「本当に困っている人」とはどういう人なのかも、私には分からないのです。
ここに寄付するとよくない、あそこに寄付するのは不安だ、そういう思惑も超えるべきものなのかもしれません。

そして二つ目、「もう少し収入が増えたら寄付しよう。今はまだその余裕がないから」という考えも、今の私の中にはあるのです。特に今の私は、経済的には確かに苦しい状況ではあります。
では私はいったい、どこまで収入が増えたら、どこまでお金がたまったら寄付するつもりなのでしょう。今だって苦しいといっても、パソコンやスマホは持って、ブログも書くことができている訳です。

誰に布施するか、どれくらいをいつ布施するか。
布施について考えると、まさに阿満先生が書かれているとおりに、私の自己執着の度合いが、見事に見えてきてしまいます。
ですが、いまだに自己執着が強い私でも、それでも何か人のために施したい、と近頃は思い始めています。このような思いが浮かんだのは、生まれて初めてかもしれません。まだまだ道は遠いのかもしれませんが。

お金

お金というのは、本当に恐ろしいものだと思います。

世の中の起こる様々な事件、トラブル、悲劇的なできごとのほとんどには、お金が関係しているのではないでしょうか。
私は歴史の専門家ではないので、あくまでも私の知る範囲での想像ですが、戦争の原因も金銭によるものが大きいのではないかと思うのです。
民族間の争い、宗教に関する争い、政治的信条による違いの争い、色々あると思いますが、根本にあるのはお金ではないでしょうか。
他国を攻めること、つまり土地を得ることは、すなわちお金につながります。人を支配することもそうです。

個人間での争いでは、恋愛に係ること、つまり愛欲も大きな原因だと思いますが、殺人までも犯してしまう個人間の争いには、愛欲と並んで金銭が大きな原因となりことが多いと思います。

そして、このお金というものは、昔から人間にとって大きな存在であったことを知ると、お金を巡る悩み、トラブル、争いなどの悲劇は、どんなに人類が進歩しようと無くならないのでしょう。

最近は経典なども読んでいる中で、例えば祇園精舎の逸話などを知りました。
お釈迦様の時代のインドで、スダッタという富豪がお釈迦様に僧園を寄付しようとしました。そのスダッタが見つけた土地はジェータという王子の所有する土地で、ジェータは土地に金貨を敷き詰めればスダッタに譲ると言ったそうです。そうしたら、本当にスダッタは金貨を敷き詰め始め、結局ジェーダもスダッタとともに、お釈迦様に僧園を寄付して、それが祇園精舎と呼ばれたという逸話です。

私が驚いたのは、話の本筋とは違うのですが、金貨という存在がその当時にすでにあったこと、そしてしっかり「富豪」という存在もあったことでした。

無量寿経』の中にこうあります。

身分の高い人も低い人も、貧しい人も富める人も、年若い人も年長の人も、男も女も、ともに金銭と財に憂えています。財のある人もない人も憂え、思い悩むことは同じです。
世の人びとは屏営とうろたえて愁苦し、来し方・行く末をむやみに案じて、不安をつのらせています。
世の人びとは、自分の欲心に走り使われて安らぐときがありません。
(『全文現代語訳 浄土三部経』大角修=訳・解説)

すでに、金銭による問題はこのころから起こっていたことに、私はまず驚きます。

さらに調べると、お金自体はもっと古い時代に出現しているらいしのです。
すでにお金が生まれて二千年は確実に過ぎ、三千年近くたっているようです。
これだけ長い間お金が存在し、なお現在でもお金を原因とする争い、悩みや苦しみが解消していないのならば、これはもう人類にとっては未来永劫に解決不能なことではないでしょうか。

そうして自分自身を振り返ると、私自身もお金のことで悩んだり、苦しんだり、また人を恨んだり、腹を立てたりすることが多いのです。お金があれば解決すると思える問題はとても多く、お金があれば心が安らぐように思えます。
お金があれば、ほとんどの苦しみや怒りの心も、私の中から無くなるのではないか、とこれまで何度も思ったものです。

ですが、『無量寿経』に説かれているように、お金があるないに関わらず、みなお金のことで憂え悩んでいるのだとしたら、いくらお金を得ても、心の安らぎは得られないということなのでしょうか。
ましてや、そのお金を原因とした様々な問題や苦しみは、人間が何千年もの間抱えていたのであるならば、それはもう、お金で解決することは不可能ではないでしょうか。

私には、お金があれば解決できる問題がほとんどに思えていたのですが、そうではないのかもしれません。
それは私が実際にお金持ちになれば、はっきり分かることかもしれませんが、この年齢で今からお金持ちになることは不可能でしょう。
ですが、だからといってこれからずっと「お金があれば…、お金さえあれば…」という思いにかられて生きていくのも、想像すると、寂しく悲しく、つらい生き方にも思えます。

では、お金があっても心の安らぎは得られないのだ、と考えてみたらどうでしょう。
人類の歴史を見ても、お金が元の争いは何千年という時が過ぎても無くなりません。今でもお金を巡って人は争い、時には殺人さえも起こします。
そして、その事実を裏付けるかのように、「財のある人もない人も憂え、思い悩むことは同じ」と書かれた『浄土三部経』が、これもまた長い間伝えられ、今も残っているのです。
争いをなくすこと、人を恨む心、怒りの心から離れ、安らぎを得ること、それらはきっと、お金を得ることでは実現できないのでしょう。
そして、「お金では解決できないのだ」という認識から出発し直せば、心の安らぎを得るための新しい道を見つけることができるかもしれません。

 

 

『男はつらいよ』寅さんに思う

新型コロナのために、自宅で過ごす時間が多くなり、Netfrixに登録して映画を見始めました。
その中で『男はつらいよ』シリーズを見たのです。

男はつらいよ』シリーズは、20代のころ友人に勧められて見たのが最初です。それからしばらくはまって、その当時は過去の作品もビデオで見たものです。
今回、Netfrixでは過去作品が全て見れるので、それこそ20数年ぶりに見てみました。 


最初に友人から紹介されて見たときの第一印象は、よく覚えています。
実は最初、寅さんには、いい印象を持てませんでした。
私は『男はつらいよ』シリーズは喜劇映画で、きっと寅さんは愉快で、常に周りに笑いを振りまく人なんだろうと勝手に思って見始めたのです。
ところが私に目に映った寅さんは、怒りっぽくって乱暴で、自己中心的で我がままで、常識を知らずに周りに迷惑をかけてばかりいる、あまり私の好きなタイプの人物ではなかったのです。私からすると、とんでもない人、はっきり言うと「笑えない人」だったのです。
ですが友人に勧められるまま見続けていると、むしろ寅さんの周りの人の優しさや、怒りっぽいけれど人情味がある寅さんの人柄にも惹かれていって、見続けることになりました。 


そして今回、Netfrixで過去作品を見てみたら、20代のころには感じなかった思いが込み上げてきたのです。
ちょうど私が今、仏教の考え方、浄土の教えに共感を持っているからでしょう。私から見た寅さんは、典型的な「凡夫」なのです。

寅さんには欲は少ないように見えます。確かに人と競争して出世しようとしたり、お金にがめつい感じはしないのですが、テキヤではサクラを使って物を売りつけたり、飲み屋の勘定を人任せにしたり、思い付きで散在して、その支払いからも逃げてしまったり、お金に関してはかなりズルいことをしています。
また、ハッタリをかまして偉そうな態度もしたり、名誉欲も決してないわけではないようです。

自己中心的な思考も、こと女性関係に関しては顕著です。
まず、どのストーリーでも寅さんが心を寄せた女性に振られることになっているのですが、この心を寄せるというのも、単なる寅さんの勘違い、つまり自分に都合のよい解釈が発端になるケースがほとんどです。
相手には全くその気はなくても、少し親切にしてもらっただけで、「この娘は自分に気がある」と考えてしまう。そして寅さんはその娘に惚れ込んでいく。
だけど実は、その娘には別に心を寄せる人や婚約者がいたりするのです。その娘さんも、決して寅さんを騙そうとしたわけではなく、普通にしていただけです。寅さんが自分の勝手な解釈で、勘違いをしていたケースがほとんどです。

このように、女性に対し自分の都合の良い解釈をして、想像(妄想?)を膨らませ、すぐその気になってしまう寅さんですが、今回久しぶりに見て、「ああ、私も同じだ」と強く思いました。
実は私も、女性がちょっと優しく笑顔で話しかけてきただけで、「もしかしたら…」という考えを描いてしまうような人間でした。最近は歳を取って現実も多少は分かってきましたが、それでも女性に対して全くそういう勘違いや自分都合の解釈をしていないか、というと、恥ずかしながら今の年齢でも「そんなことはない」と否定はできません。
こういうことは、若いころは、さほど強く感じていなかったと思います。寅さんはあくまでもスクリーンの中の人、私は「バカだな、恥ずかしいことをするよな、寅さんは」と笑いながら見ていただけでした。 


そんな寅さんですが、私とは決定的に違うところに、今回気が付きました。

寅さんは、自分を徹底的に「バカ」だと思っているのです。
これは決して謙遜ではないようなのです。「私はバカですから」といいつつ、100パーセントはそう考えていない人が多いのではないでしょうか。私はそうです。自分はバカだ、愚か者だ、と思いますが、心の奥底のどこかで「だけど自分は分かっている」「だけど自分は頭は悪くない」と思っているのです。
この自分を消し去ることは、未だにできません。

だけど、寅さんは100パーセント自分はバカだと思っているのではないでしょうか。
例えば第15作『寅次郎相合い傘』でのラストに近いシーンです。(ネタばれなので、ここまでで興味を持った人は、以下は読まずに映画を見てください)

売れない歌手のリリーが寅さんとの結婚を決意するのですが、寅さんはその彼女を追いかけません。妹のさくらは、涙ながらに寅さんに詰め寄ります。

「どうしたの、どうして追っかけて行かないの。お兄ちゃんは、お兄ちゃんはリリーさんのことが好きなんでしょう?」
「もうよせよ、サクラ………あいつは、頭のいい、気性の強いしっかりした女なんだよ。俺みてえなバカとくっついて、幸せになれるわけゃねぇだろ?」

脚本の力なのか、演出の力なのか、渥美清さんの演技力なのか分かりませんが、自分は賢い人間だ、自分はものごとが分かっている、などとは微塵も感じさせないのです。

私の寅さんに対しての印象は、最初のころ決して良くなかったのですが、なぜその寅さんにひかれてこのシリーズを若いころ見ていたのか、そしてまた今見ているのか、その答えの一つは、自分がバカであることを認め切っている寅さんにあることに気が付きました。
これは、私には絶対できないことなのです。煩悩だけは寅さん同様に、いやもしかしたらそれ以上にあるのですが、それでも私は自分をバカだと、100パーセント思えません。
現に、このようなブログを書いていることもその証拠ではないでしょうか。

このブログを寅さんに目の前で読んでもらったら何と言うでしょう。
もしかしたら、こう言うかもしれません。

「はぁ~すごいねぇ、俺には何を書いているのか、さっぱりわかりゃしねえ。あんた、頭いいんだねぇ、さすがたくさん本を読んで、学のある人は違うよな………あ、ところでよ…」

仏像にまつわる思い出話~弥勒菩薩半跏像~

今回は仏像にまつわる思い出話を書いてみます。

 

私は十数年前から京都が好きになり、それ以来、年何回か訪れています。
ですが、京都に行くようになったから、今のように仏教に関心が起きたわけではありません。つい一年ほど前までは、京都で好きなところは仏像よりも、庭園や桜・紅葉であったり、街歩きや食べ物だったりしました。

ところがこの一年ほど、私が京都に行きたいと思う気持ちのなかに、阿弥陀様の姿を見たい、と思う心が起きてきたのです。
それまでは仏像などには興味がなく、阿弥陀如来像と釈迦如来像の違いも大して知らなかったのに、です。

果たして、偶像崇拝というものが仏教、特に浄土の教えではどう扱われているのか、私にはよく分かりません。
そもそも阿弥陀仏が存在するならば、寺院に安置されているような姿であるはずはないのです。経典を読んでもそれは分かりますし、色も形もない、人間に真理を知らしめるための方便の姿が阿弥陀仏だという話も聞きました。
そのことは、よく理解できます。

しかし、形になったものがあると、「本当はこういう姿ではないんだ」と分かっていても、手を合わせたくなります。信仰心があるならば、家で仏さまを想い拝めば十分だと思うのですが、やはり「仏像」というシンボル、偶像の存在は、私にとって決して小さくないのです。
これは私の弱さからくるものかもしれません。

昨年の夏や今年の正月にも京都へ行き、三千院知恩院などへ行きました。その理由には、阿弥陀様の像を拝みたい、という思いがあったのです。
それまで、京料理を楽しみにしたり、禅寺の庭園を眺めることが好きだった私にとって、大きな変化でした。

 

十年ほど前、京都へ行ったときに、繁華街のとあるバーで女性のバーテンさんに会いました。繁華街で夕食を食べ、その後そのバーに寄ったのです。
その人は三十代半ばくらいの人だったでしょうか。京都以外の他府県の出身で、京都に住み始めて数年たつそうです。
京都のおすすめどころを聞くと、広隆寺だといいます。広隆寺の中でも、弥勒菩薩半跏像を勧めてくれました。その人は度々、弥勒菩薩半跏像を拝みに広隆寺を訪れているらしいのです。

お酒がすすんでリラックスしてカウンター越しに話してるうちに、その人は言いました。
弥勒菩薩半跏像があるから私は京都にいる、弥勒菩薩半跏像があるから今の自分は生きていける。
私はその時、その思いがけない重みのある言葉にドキッとしてしまいました。

私はそれまで、広隆寺に行ったことがなかったので、翌日早速行ってみました。
そこで初めて実物の弥勒菩薩半跏像を見ました。まず感じたことを正直に書くと、今思うと本当に恥ずかしいのですが「意外と小さいな」と感じたのでした。
その当時、弥勒菩薩とはどういう存在なのかもしらず、私にとっては、いわゆる骨董品の一つを見にいくくらいの気持ちだったのでしょう。

一年後に同じバーにいくと、その人はもういませんでした。店のスタッフに聞けば、もし他店に移ったならば教えてくれたかもしれませんが、特に聞くこともしませんでした。おそらく今も京都のどこかで暮らしているのだろうと、思いました。

しかし、その人の弥勒菩薩半跏像に対する言葉は、その後も私の中に残り続けました。
いったいなぜ、一つの仏像にそこまで思い入れることができるのだろうか。私にとっては不思議でした。

 

十年ほどたった今、今度は私が、阿弥陀如来像に会いに京都へ行きます。
本当に縁というものは分かりません。その人の言葉を聞き、その言葉を十年近く覚えていたのも、今の私になるための準備だったのでしょうか。

その人が、弥勒菩薩半跏像に対してどういう想いを抱いていたのか、何があってそういう想いを抱くようになったのか、知るすべはありません。
ですが、今の私には、何か分かる気もするのです。

仏像と言っても、所詮、木の彫刻品です。本当の仏さまは、あのような姿はしていないし、仏像がなければ安心できないなんて、信仰本来の姿勢とは違うと思います。
ですが、弱い弱い私のような人間にとっては、目に見えるものがあり、それに向かって手を合わせることが、何か一つの、心の励みのようなものになります。
仏様はそういう私を見て、「私はそこにはいないよ、私はそういう姿ではないよ」と笑っているのかもしれませんが、でもきっと、そういう愚かな私だからこそ見守っていてくれていると思うのです。

正しいと思う行いをすること

自分が正しいと思った行いをする。いけないことだ、と思うことはしない。
そうすれば、胸を張って生きていける。
自分のしたことが評価されなくても、報われなくても、きっといつか理解してくれる人は現れてくれるはずだし、何より、自分自身が堂々と生きていけるではないか。
そうして胸を張って、凛として生きていこう。

それが、若いころから、まだ10代のころからの私の考えでした。

ですが、その生き方が大きく揺らぎました。
その生き方、考え方は間違ってたのではないか、ということです。
いえ、「間違っていた」というのは正しい言い方ではない気がします。
何と表現すればいいのでしょう。
自分が正しいと思ったことを行う、よく考えて、正しいと思ったらば、それを貫き通す。
それは間違えではないとは思うのですが、「正しくはない」と、今は感じます。

 

歎異抄』の中には、印象深い言葉がたくさん出てくるのですが、その中でも、特に強いインパクトを与えられたところがあります。

聖人のおほせには、善悪ふたつ、総じてもて存知せざるなり。そのゆへは、如来の御こゝろによしとおぼしめすほどに、しりとをしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしきとおぼしめすほどに、しりとをしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、……

(現代語訳=親鸞聖人は、「善悪の二つについては、私はまったくわきまえるところがありません。なぜならば、阿弥陀仏がよいと思われるほどに、よいことを徹底的に知っているのであればこそ、善を知ったということになるのでしょう。また、阿弥陀仏阿が悪いとお知りになるほどに、悪を知り尽くしているのであればこそ、悪を知ったということになるのでありましょうが、……)

歎異抄』阿満利麿=訳・注・解説 ちくま学芸文庫 より

 私が正しいと思っていることは、実は違うのかもしれない。逆にいけないことだ、と思っていることでも、良いことがあるのかもしれない。実は私は、良い・悪いを判断する力など、そもそもなかったのではないか。
この『歎異抄』に書かれた内容は、私にとって非常に納得のできるものであり、大きな気付きを与えてくれました。

私は、自分が正しいと思う行いをすることを、ある意味心の支えにして、自分を励まして生きていたところがあります。
ですが、その善し悪しの判断自体が無効だったのでしょうか。もちろん、自分で善悪の判断をするときは、よく考えて行動をしてきたつもりです。ですが、どんなに考えても、自分は自己中心的な視点からは逃れられないのです。
そして、自分が正しいと思うことを貫くことによって、独りよがりのヒロイズムに浸っていた気がします。
そういう自分に気が付かされた、非常に重みのある一文でした。

 

しかし、私自身が善悪を知らないとしたら、いったい何を規範にして生きていけばいいのでしょう。
日常の小さなことに至るまで、自分が「良い」と思うことをするのは、ある意味当たり前です。
その良い・悪いの基準が、自分の中に求めることができないとしたら、私はどのようにすればいいのでしょうか。
この『歎異抄』の一文を読んで、自己の善悪判断の不確かさに気づかされた時は、自分はどう行動し、生きていけばいいのか迷いました。
自分の中の善悪判断を放棄しなければいけないのでしょうか。

 

しかし、そこまで極論に行きつかなくてもいいのではないか、と最近は思うのです。
自分のしていることは、自分で「良い」と思ってしている。あえて自分が「悪い」と思うことなどできるわけないのです。
ただ、自分が「良い」と思う行動をして、日々暮らしてはいるのですが、それは本当に「良い」ことなのか、本当のところは分からない。そういうことを、心のどこかに留めておくしかできないでしょう。
さらに考えてみると、「留めておくしかできない」のではなく、「留めておくことができる」のではないでしょうか。
それをするだけでも、少しは「よい生き方」につながるのではないか、と思うのです。

 

私は、自分が正しいと思うことを曲げずに貫き通せば、胸を張って生きていけると考えてきました。
それは、時に自己中心的な凝り固まった考えに陥り、人間関係に問題を起こし、困難を巻き起こし、それにより自分も苦しんできました。
そして、自分は不完全な人間だ、ということも分かってはいたはずなのに、それは言葉の上だけの認識に留まり、結局、その自己の不完全さを、深いところでは理解できずにいました。
さらに、「自分は正しいことをしている」という自己意識によって、一種のヒロイズムに浸ってしまう、そういう危うい道を歩んできた気がします。

この「自分が正しいことをしている」と自分で感じることは、私の生き方のようなものでした。
そこから少しでも抜け出せるのであれば、私にとっては多少であっても、新しい、よい生き方に近づけるのではないか、と今は思えるのです。

 

音楽を楽しむ心

私は若いころから音楽が好きでした。自分ではピアノ・キーボードを弾き、実は若いころはプロミュージシャンを目指して、実際に音楽関係の仕事をしていたこともあるのです。もちろん、そんなに大きな仕事を経験したわけではなく、歳をとるにつれて次第に音楽からは離れていきました。

若いころは常に音楽が無くては生活できないくらいだったのですが、さすがに今は時々聴くぐらいです。ですが、音楽が好きなことは変わりません。
今でもYoutubeなどで、好きなミュージシャンのライブ映像を見たり、CDで好みの音楽を聴くと、心が浮き立ち、何か熱い気持ちが沸き上がってきたり、又はしみじみとした気持ちになり、切なくなったりします。

ですが、これは本当の喜びなのか、本当の楽しみなのか、音楽に感動することは、実は忌むべきことではないのか、と最近考えてしまうのです。
何かに感動し、心が高ぶった状態というのは、決して好むべき心の状態ではないのではないか、と考えてしまうようになったのです。

確かに、大きな感動があった後には、私の場合、必ずと言っていいほど、徒労感や深い虚脱感に襲われます。これは若いころからそうでした。
「祭りの後の寂しさ」、とでもいうのでしょうか。それを打ち消すために、さらなる感動を求めて、もっともっと熱くなれる何かを求めてきたような気がします。

感情が大きく高まれば、その反動が起こることも当然かもしれません。その反動が起きたときに、苦しい気持ちになることもあります。そして、それを打ち消そうとして、さらにもがき苦しみ、さらなる感動を得ることに成功したとしても、その反動はさらに大きなものになっている、そんなことを繰り返してきた気がします。

音楽なんて聴かなきゃいいじゃないか、と考えたりします。
ですが、音楽を聴いて感動することは、いけないことなのでしょうか。
心を揺れ動かすことは、同時に辛さや苦しみも生み出す種になる、ということを、今の私は実感しています。それでも、音楽を聴くことは楽しいし、それを避けるべきなのでしょうか。

ここでまた『浄土三部経』からの話になってしまいますが、極楽浄土には、風や、水面の波や、木々の間から、この上ない音や音楽が流れてくるといいます。
おそらく、その音楽を聴くと、心地よさしか生まれないのでしょう。
ですが、この世の音楽には心地よさを感じると、その陰に、その反動でいずれ気持ちが下がってしまう時がすでに準備されているのかもしれません。

この世の中の音楽とは、そういうものなのでしょう。それは、不安定で未成熟な「私」という存在に根差しているからに他ならないと思います。
そして極楽世界の最上の音楽は、私には全く想像もできません。永遠の心地よさしか生み出さない音楽、そのような音楽は、今この世に生きている私には考えられません。
ですがやっぱり、この世で私は音楽を聴くことから離れられないと思います。若い時ほど、常に音楽に囲まれている必要はなく、歳を重ねるにつれて、むしろ音楽のない時間の良さも感じるようになってきたのですが、それでも好きな音楽からは離れられないでしょう。

これも凡夫ならではなのかもしれません。
毒になるかもしれない、と分かっているのに、美味しいから食べてしまう。それが私と音楽との関係なのでしょう。

法蔵菩薩 ~阿満利麿先生の講演を聞いて~

先日、阿満利麿先生の講演を聞き、それについて感じたとこを記事にしてきました。
前回の記事で、先生の本や話には、仏教に素人である私の素朴な疑問に答えてくれる内容が多い、ということを書きました。
今回聞いた講演でも、いくつかあったのですが、その中の一つを書き留めたいと思います。

無量寿経』には、法蔵菩薩が四十八の願をたてて、それが成し遂げられ阿弥陀仏になったことが書かれています。
この願の立て方が、私にとってとても不思議だったのです。

例えば第一願です。

たとえ、わたくしの願行成就して仏になれる時が来ても、我が国土に地獄界・餓鬼界・畜生界に迷い苦しむ者あらば、わたくしは仏になりません。
(『全文現代語訳 浄土三部経』大角修=訳・解説 角川文庫)

このように、「たとえ、わたくしが仏になれる時が来ても……ならば、わたしくしは仏になりません」というような言い方で四十八の願がたてられています。

この言い方が不思議でした。
仏になる、ならないは自身の願いでもあるし、自分の修行の成果であるはずなのに、条件が整わなければ仏にならないというのです。
仏になるために、法蔵菩薩は修行をしたのでしょう。それが、仏になれる時が来ても、条件が整わなければならない、という言い方に感じられ、私にはとても奇妙に感じられました。

阿満先生は講演の中で、この点を指摘しました。
先生は、「わたくしはこうしたい」と書けばいいのに、わざわざ願いを立てたうえで、それがかなわなければ仏にならないという書き方に注目します。
それは法蔵は、自分が仏になるよりもまず衆生を救いたい、と願っているからだ、と先生は言うのです。法蔵菩薩にとっては、自分の悟りを第一とせずに、人々を救うことが第一だったのだと。

法蔵菩薩について先生は、法蔵とは一人ひとりの自分の事なのだ、と言いました。自分の深い意識の中に生まれた存在で、経典では法蔵は仏になる、だから私も仏になるのだ、と言うのです。

正直、私にはこの部分はよく理解できずに未消化のままです。
本でしたら、何度も読み返して、考えることもできますが、講演はその場で聞いて考えるしかできません。

私が阿弥陀仏誓願を信じて念仏を唱えることによって、私の中に法蔵菩薩が生まれるというのは、それは違う気がするのです。いえ、他の人はともかく、私に当てはめると違う、と言うべきでしょう。
なぜなら、私が本や経典を読んだり、講演や法話を聞いたり、こういうブログを書きながらいろいろ考えているのも、私が私の抱える苦しみから抜け出したいという思いからです。
法蔵菩薩のように、自分の悟りよりも他の人の救済を考えることなど、私には全くできない事なのです。

それでも、私の奥底に生まれた法蔵菩薩は、いずれ成長して、私にも他の人を救いたい気持ちが生まれてくるのでしょうか。
今の私には、それは私自身が悟りを開き、この現世において苦しみから抜け出せるとこ以上に、困難な気がするのです。
私はあくまでも自分の救済が第一な人間であり、他の人の幸せや救済を求める法蔵菩薩にはなれないのです。

いつものように講演内容を記録していないので、私の聞き間違い、誤解もあるかもしれません。今私が感じたことも含めて、また考えていきたいと思います。