残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

聴聞の日々に起こった迷い

私は今、時間が許す限り、法話や浄土の教えに関する講演を聞きに、つまり聴聞にいってます。
このような聴聞生活を始めて、かれこれ3年になります(2022年12月現在)。

離婚と破産という出来事を経て、仕事や家庭、家と土地も失って、一人で今住む街に越してきました。なぜこの街を選んだのかというと、仏法を聴聞できる場所が近くに多くあるから、というのも大きな理由でした。
ですが最近、法話を聞く中で、内容に疑問を感じることが増えてきたのです。

聞法に通いだしたころの私は、「とにかく話を聞こう。理解できなくても、内容に納得できなくても、つまらなく感じても、自分の判断はさしおいて、聞き続けよう」と考えました。
自分の気に入った人の話や、興味のある話、理解できる話だけを聞いていたら、自分の枠を抜けることはできません。いえ、自分の枠を抜けることはそもそもできないので、自分の枠を「広げる」といった方がいいのでしょうか。

これまでの自分の考え方や、生き方に疑問を感じ、違う生き方を模索する中で仏法に出会い、聴聞を始めたのです。
これまでとは違う生き方を見つけるには、自分には理解できないことや、興味が持てない話も聞いていくべきだ、と思ったのです。自分の判断をひとまず捨て去って、話を聞こうと思いました。
歎異抄』の「序」に書かれている、「自見の覚悟」、つまり自分の了解から離れるためには、自分で話の良し悪しを判断するべきではないと考えたのです。

しかし最近、聴聞をしていて、違和感や不満を感じてしまうことが増えてきたのです。
それは、私自身が変わってしまったのか、たまたま最近そういう話に出会うことが多かったのか、仏法を聞ける機会が沢山ある今の環境に慣れてしまったのか、わかりません。

では、どのような話に不満を感じるかというと、主に単なる「知識」に感じてしまう話です。
何年にこういうことがあって、その時親鸞聖人はこういうことをしていた。その時にこういう出来事があった、とか。
ある法座では、参加者に度々『真宗聖典』が配られます。そして、そこの○○ページを開いてください、次に××ページを開いてください、というように話が進められます。
そのような話は、私が聞くことに意義を見いだせないというだけではなく、聞いていると悲しくなってくるのです。聞き続けることが辛くなってくるのです。

私は、仏法聴聞というのは、人生の壁にぶつかり、もうこれ以上進めないのではないか、という人にとって最後の拠り所となる物語を聞かせてもらう場だと思っています。決して歴史や宗教を「勉強」する場ではないのです。知識を増やすための場ではないのです。
もうこれ以上頑張れない、という自死手前のギリギリの人が、その話を聞いて、その場ではよく理解できなくても、もう少しこの話を聞いてみよう、そのためにもう少し生きてみようと思わせる力が仏教にはあると思います。

もちろん、いつもいつも重い内容の話では、なかなか気持ちが前向きになれないでしょう。だから、時には笑いを誘うようなエピソードや、好奇心をくすぐるような話も必要かもしれません。
ですが、法話の根本は人の救いにあって欲しいのです。仏法、その中でも特に阿弥陀仏の物語には、それだけの力があると私は感じてきたのです。

最近、繰り返して読んでいる阿満利麿先生の本、『『歎異抄』講義』に次のような記述があります。
歎異抄』第六章に関して書かれているところで、「よきひと」、つまり私が思うに「善知識」、仏法に導いてくれる人について書かれています。

法然親鸞の考える「よきひと」とは、これが人間の悲惨さから抜け出す唯一の道だと高々と説くわけではなく、自分がその物語をどんな風に了解してきたのかを語ることしかできない、といいます。物語を求める人は、その話を聞いて、その物語を取るか取らないかを自分で決断しなければいけません。それは、聞き手の問題なのです。
『『歎異抄』講義』著=阿満利麿 ちくま学芸文庫

私が聞きたいのは、その人がどのように阿弥陀仏の話を受け止めてきたか、そして次は私自自身にどういう決断をするのか問いかけてくる、そういう話なのです。
それは必ずしも、話す人の経てきた人生を具体的に語ってほしい、というわけではありません。
その人にとって、念仏とはどういう存在なのか、それを知りたいし、感じたいのです。それがなければ、単なる「勉強」です。
歴史の話であっても、話す人自身がその歴史的事実から何を感じ取ったのか、自分自身の救いと人々の救いをどう感じたのか、それを聞きたいのです。それがなければ、単に知識を語るだけになってしまうと思います。
もっとストレートにいえば「他人事」のように語る話は聞きたくないし、辛くて聞いていられないのです。

これまでは、とにかく自分の判断は捨て去って、どの人の話であっても聴聞してきました。ですが、これからは講師の方も選んで聞きに行くべきなのかも、と考え始めています。
ですが、やはりそれは「自見の覚悟」に繋がるのでしょうか。そこでまた私は迷ってしまうのです。

再び、孤独と寂しさについて

前回の記事で、孤独と寂しさについて書きました。それからさほど日が過ぎていないのに、「ああ、そうだよな」と新たに気付かされることがあったのです。

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阿満利麿先生の講義を収めた本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)の中に、「孤独」に関する記述があり、前回「孤独」について書いたばかりの私は、改めて考えさせられました。

この『『歎異抄』講義』は、私にとって、とても大切な本になると思うので、いずれこの本について書くつもりですが、今回は「孤独」について感じたことを書いてみます。
私が今回、「そうだよな」と感じたところは二河白道についての以下の記述です。

群賊は、荒野で西に向かって一人で旅をしている人を追いかけてきます。「一人」というのは、人間の本質的な孤独を表しています。放っておいたら、人は孤独になる道を歩んでいくものです。自己中心ということは、他人がいると困ります。他人が自分の手段として存在するのはいいのですが、自分の存在を脅かす他人には、存在してほしくないものです。孤独は人間の業だと思います。人間は自我中心ですから、孤独を求めるようにできているのです。
『『歎異抄』講義』(著=阿満利麿 ちくま学芸文庫)

人間は孤独だ、とは言わず、孤独を求めるようにできている、という指摘に驚き、また同時に納得できました。人は放っておけば孤独になるのです。
驚きましたが、考えてみれば当たり前といえば当たり前の事実かもしれません。
そして、その当たり前の事実が私にとって大きな問題となるのは、その自らが求めている「孤独」が、同時に私にとっては辛いことなのだ、ということです。
自分が求めているくせに、私はそれが辛いというのです。

近頃ずっと、私はいったい何を望んでいるのか、分からなくなっていたことがあります。
それは、私は「人」が好きなのか、嫌いなのか、ということです。「人」と一緒にいたいのか、いたくないのか、よく分からなくなっていました。
その答えが、阿満先生の言葉にありました。
要は、私は自分にとって都合のいい人と一緒にいたいだけなのでしょう。一人はいやだけど、自分にとって邪魔にならない人といたいのです。

ですが、これは無理なことです。
他人である以上、最初は自分にとって都合のいい人であっても、付き合いが続いていけば、そのうち邪魔に感じる時がくるはずです。
二度の離婚を経験した私は、その事を強く実感できます。私のあり方は、そうだったのです。また、相手にとって私の存在もそうだったのではないかと思います。

では、放っておいたら自ら「孤独」を選ぶ私、だけど一人はいやだという私は、どうすればいいのでしょうか。
どうしても、一人になりたくないのならば、自分にとっては邪魔になる人も受け入れなければいけません。
反対に、自分のとって邪魔になる人を受け入れられないのならば、孤独と寂しさに耐えるしかないのでしょう。

ですが、前回のような記事を書く私です。とても孤独に耐えられそうにありません。
そうすると、自分にとって邪魔になる人も、大切な仲間として受け入れていく道しかないように思えます。
そうなると次の問題は、私の「心」が、それについていくことができるか、ということです。理屈で理解して、頭で分かっていても、「心」は別なのです。

私は、このまま放っておいて孤独の道を歩むのか、今は大きな別れ道のような気がします。もう、若くはない私です。この別れ道の選択は、決して小さなことではないのです。
私は、私にとって邪魔な存在でも、受け入れることができるのでしょうか。

2022年報恩講を終えて ~「寂しさ」と共に生きる~

今年2022年の報恩講も終わりました。

報恩講とは親鸞聖人の命日である11月28日前後に行われる法要です。
私が今回参拝した京都の東本願寺(真宗大谷派)や佛光寺では、11月21日から28日まで連日法要や法話が行われます。ちなみに報恩講の期日は宗派や寺院によって違い、京都の西本願寺(本願寺派)では旧暦の11月28日にあたる1月に行われます。
こんな解説めいたことを書いてますが、私は5年ほど前までは報恩講のことは全く知らなかったのです。

今回、東本願寺報恩講に参拝するのは三年目、佛光寺報恩講は初めてでした。
初めて報恩講に参拝した時から感じたのは、報恩講が終わった後の、なんとも言えない寂しさでした。
その寂しさの正体は何なのでしょうか。
これは、いわゆる「祭りの後の寂しさ」なのでしょうか。

コロナの影響もあるのか、「祭り」というほど沢山の参拝者で込み合っていたわけではありません。
それでも境内には案内のテントがたてられ、法要時、東本願寺前には団体参拝のバスが何台も停まり、参拝者も普段に比べると圧倒的に多く、境内はいつもと違う雰囲気に包まれました。
きっと、それが終わってしまった寂しさがあるのでしょう。

*   *   *

その寂しさの根本を考えると、私が抱えている「孤独」に行き着きます。

全国から集まる参拝者たち、お堂の中で手を合わせる人々、高齢者のグループもいれば、幼い子供を連れた家族もいます。一人で参拝する人も多いです。中には、地方から京都観光を兼ねて参拝に来た人たちもいるようです。そういう人たちにとっては、もしかしたら報恩講よりも京都巡りの方が実は主目的かもしれません。
ですが、そうであったにしても、その一人ひとりに、念仏に出会えたストーリーがあり、これまでの人生があり、その上での今日の参拝なのです。
そういう人たちと一緒に堂内に座り念仏をして、法話に耳を傾けていると、私は一人ではない、という気持ちになります。
人それぞれ念仏との縁は違えども、共に念仏を唱えている仲間であることに変わりはない、そう思うと、私の孤独感が少しだけ和らぐのです。

ですが、この「孤独感が和らぐ」ことは、おそらく幻想のようなものだと思います。
私自身が抱えていて、これからも向かい合わなければいけない「孤独」は、人間である限り決してなくならないはずです。
それでも、幻のような一時であっても、「私は一人じゃない」と感じられる時は、やはり、かけがえのない時間なのです。「人間は孤独な存在だ」と言われ、それが揺るぎようのない事実だとしても、やはり私は人間であり「凡夫」なのでしょう、幻を求める心が消えず、時にはそれを支えにしてしまうのです。

*   *   *

私の部屋には真宗教団連合が作製している法語カレンダーが掛かっています。その11月には「たとえ一人になろうとも仏はあなたと共にある」という雪山隆弘氏の句が書かれています。
また、実際に親鸞聖人が述べた言葉ではないらしいのですが、「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。」という言葉が伝えられています。
阿弥陀様が、親鸞聖人がいてくれる、と思うことで、心が救われたことがこれまで何度かありました。

ですが、ふとした時に、やはり私は孤独感におそわれます。現実に阿弥陀様や親鸞聖人が隣に来て、声をかけてくれるわけではないからです。
これはひとえに私が凡夫なるが故なのでしょう。
人間は孤独な存在だという事実を、とても受け入れきれないのです。阿弥陀様がいてくれれば十分なはずなのに、それでは心がおさまらないのです。

*   *   *

佛光寺では27日の夜から28日の未明にかけて通夜差定が行われ、私も参加してきました。

通夜差定では、27日の20時から6名の布教使が法話を行います。
途中、甘酒やミカンが配られたり、佛光寺学生寮の学生グループが、ちょっとコミカルだけど、仏教の教えを考えさせてくれる劇を上演してくれました。全てが終了した時には、1時を過ぎていました。(1名の布教使の方が急遽来られなくなったので、予定より早く終わったそうです)
夜が更けてくると堂内は冷え込んできて、参加者は各々、支給された毛布を体に巻いたり、畳の上に敷いて座ったりして、法話に聞き入っていました。

真宗教団の一年は報恩講に始まり、報恩講に終わる、と度々聞かされてきました。今年はこの通夜差定に参加して、その感覚を肌で感じとることができました。
同じ念仏を唱える人たちと共に法話を聞き、夜を明かす。そして、夜明けから私は来年の報恩講に向かってスタートするのです。

佛光寺東本願寺報恩講に集まった人たちとは、私は何の面識もありません。特に会話を交わしたわけでもありませんでした。だけど、また来年ここで集えたら、という想いが込み上げてきました。

このようにして今年の報恩講を終えた今、私はたまらない寂しさにおそわれるのです。

*   *   *

今年の報恩講では、東本願寺で酒井義一先生の法話を聞くことができました。酒井先生の法話YouTubeで聞いて、以前記事にさせていただきました。今回初めて直接、酒井先生のお話を聞くことができました。

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酒井先生は、苦しみや悩みをかかえていた若い頃、教えを受けていた先生から、酒井先生が持っていた暗さを指摘され、その暗さは正しい生き方をしていないことからくるのだろう、と言われたそうです。そして次の言葉が忘れられない記憶として残ったそうです。

「その暗さを大切にな」

今回の報恩講を終えて、「孤独」からくる寂しさを感じている今、つい数日前にその報恩講で聞いたばかりの酒井先生の話が思い返されました。
人間の「孤独」を受け入れきれずに、寂しさから幻を求めてしまう私です。その幻を追う姿は、決して正しいあるべき生き方ではないのかもしれません。
ですが、その寂しさは凡夫である私の証です。阿弥陀仏の救いの目当てである凡夫の証なのです。
私は、この「孤独」と、そこからくる「寂しさ」を、この先の人生において大切にしていきたいと思います。

南無阿弥陀仏

阿弥陀仏の物語を信じること

本願を信じ念仏をまうさば仏になる

歎異抄』の第十二章に書かれている言葉です。
学問をしなければ浄土に生まれることは難しい、という説に対して、著者唯円は、阿弥陀仏の本願を信じて念仏すれば浄土に生まれる、ということを知る以外に、何の学問が必要なのか、と訴えます。

本願を信じる…。
では今、念仏を唱える暮らしをしているこの私は、阿弥陀仏の本願を、つまり阿弥陀仏の物語を信じているのでしょうか。
「物語」という表現は、私が勝手に自分の善知識とあおぐ阿満利麿先生が、よく使う表現です。
とても、しっくりくる表現ですが、一方で「物語」という表現には、事実としては信じていないニュアンスも含まれている気がします。

確かに、『大無量寿経』をはじめとする浄土三部経に書かれれていることは、現実にはあり得ない、一種の「おとぎ話」に思えます。
国王であったある人物が、一切のものを救いたいと誓い、法蔵菩薩となり、地球が生まれて現在に至るまでの時間より遥かに長い時間の修行の果てに、願いが成就して阿弥陀仏となった。阿弥陀仏となった法蔵は、寿命も限りなく、身体もすでに「人間」ではなくなっていた…。
とても事実とは思えないし、これを本当にあった話だと信じるのは難しいことです。

*   *   *

私が念仏の暮らしに入った最初のきっかけは、『歎異抄』でした。
そこに書かれていた親鸞聖人の言葉は、とても論理的であり、「なるほど」と思える内容でした。
そしてそれは、私がもっていた宗教や宗教家のイメージを大きく変えるものでした。

ですが、その根本であるはずの阿弥陀仏の誕生や誓いの話は、理窟から言って、理解して信じることはできないと感じたのです。
かと言って、「こんなもの、作り話だ」と捨て去ることができない何かを感じたのです。

そして今に至り、念仏の日々を過ごしている私は、阿弥陀仏の物語を信じているのでしょうか。
「信じていないのか」という問いには、明らかに「No」と言えます。
では「信じているのか」と聞かれると、答えに窮します。阿弥陀仏の物語が事実としてあったとは思えないからです。
信じるのか、信じないのか、その問いに強いて答えれば、「自分の救いはそこにある、いや、そこにしかない」という言い方が、今の私が感じていることに一番近いと思うのです。

阿弥陀仏の物語は、私には理解できない、事実とは受け止められない。
でも、だから、自分の救いがきっとそこにあるのです。
阿弥陀仏の物語に出会うまで私の生きる指針となってきた、自分の知識、経験、考え、そして理性までもってしても、阿弥陀仏の物語は受け止めきれない。そういう「物語」だからこそ、私をあるべき生き方に導いてくれる、と思うのです。

*   *   *

法然上人の言葉にあります。

聖意測りがたし。たやすく解することあたはず。

阿弥陀仏がなぜこのような誓いをたてたか、理解はできない。法然上人は、そのように言っています。
私が思うに、「私には分からない」、そのことこそが、大切なことなのだと思います。
なぜ「私には分からない」ことが大切なのか。
普通に考えれば、自分で分からなければダメだし、分からなければ、それは自分にとって何の役にたたない、と思えます。

ですが、自分が理解できることで自分を救えるのでしょうか。
自分が理解できることで自分を救うのは、自分で自分を導くことに他なりません。
「自分」が苦しく救いを求めているとき、辛くて進むべき道を模索しているとき、その苦しみもがいている「自分」が「自分」を導くことなどできるとは思えません。
事実、私はできませんでした。

そういう時は、本を読んだり、人からアドバイスをもらえばいいのではないか、と思うかもしれません。
ですが、本や人の話の内容を「自分」が理解して、それを指針にしている限り、それはあくまでも「自分」が「自分」を導いていることになります。
日常生活に関する細かなトラブルには対処できるかもしれません。ですが、根本的な苦しみや辛さから、自分を救い導くことなどできないでしょう。

*   *   *

私はあるとき、私の理解を越える阿弥陀仏の物語に出会うことができました。

その物語に語られているように、念仏をとなえることだけが、自分を救う道であり、進むべき道に導いてくれる、そう感じています。

私の苦しみ

私がこのブログを始めたのは、このブログのタイトルどおり、それまでの生き方で一生を終えたくない、という思いからでした。

最近の記事(といってもあまり更新していないのですが…)で度々触れていますが、私は数年前に離婚や破産という経験をしました。
その経験を通して、自分が感じている苦しさや辛さから逃れたい、と強く願ったのです。そのためには、これまでとは違う生き方をしなければいけないのではないか、と思いました。
それは、その苦しみを生み出してきた原因が、全てではないにせよ、私自身にあったと感じたからです。
これまで通りの生き方をを続けていっても、また苦しみや辛さに襲われるのは確実でしょう。そして、離婚や破産などで私を襲ってきたような苦しみが再び私を襲ったら、次はそれに耐えていく自信もありませんでした。
そして、そのような苦しみに耐えるだけで残りの人生を送りたくない、と思ったのです。

私が苦しさや辛さを感じてきたのはどういう時か、改めて思い返してみました。
すると、とても残念なことに気が付きました。

私が苦しみや辛さを感じるのは、ただ単に、自分の欲望が満たされなかった時なのです。仕事のこと、経済的なこと、異性に関することなどです。
それは未来に対してもそうです。
将来、自分の希望通りに物事が進まないのではないか、欲しいものが手に入らないのではないか、という不安や恐れが根本にあり、それが辛さや苦しさを生み出しているのです。例えばこの先、仕事がうまく進むだろうか、経済的にうまくいくだろうか、などです。

そう考えると改めて、私の苦しみや辛さの底の浅さが分かります。
私の苦しみや辛さは、現実の生活に関することであり、私には、人生や生きることに対しての思索などはなかったのです。単純に自分の自己実現に関することしか頭になかった、ということです。

しかし、法然上人や親鸞聖人は、おそらく若い頃から長い間、生きていくことの苦しみ、生まれてきた意味について、模索してきたのではないでしょうか。
もちろん、実生活の関する辛さもきっとあったと思います。今に比べれば、法然上人や親鸞聖人の時代は、生きていくこと自体が大変な時代だったでしょう。
ですが、法然上人や親鸞聖人は、その根底にある、生きていること、そのものからくる苦しみや辛さに向き合ってきたのではないかと思います。

ここ数年で、僧侶の方をはじめとする、長い間念仏の生活を送っている人たちと知り合うことができました。その人たちの多くも、若い頃から、生きていることの苦しさを感じ、その原因を捜し、「真実」に出会いたいと願い、念仏の生活にたどり着いたのです。

それに比べれば私の苦しさは、何と浅はかなものでしょうか。そして、その浅はかさは、今現在でも変わっていない気がします。
簡単に言うと、「思いどおりになればOK」というだけで、私の苦しみはその程度な気がします。
そして、これまでを振り返っても、この先を考えても、自分の思いどおりになり、欲望が完全にかなえられることはありません。
つまり、底の浅い苦しみだとしても、それから解放されることはないのです。
しかし、仏法を聞き続けてきたなかで、こういう思いが生まれました。

欲を満たしたがっている「私」が、「真の私」を苦しめている原因なのではないか。

そういう考えが浮かんだ時、即座にその考えに自分で頷くことはできませんでした。「そんな馬鹿な話はないだろう。それでは、自分が分裂していることになる」と思ったのです。結局、自分を「いいヤツ」にしておきたいから、そんなこと考えているんじゃないか、とも思いました。

ですが、やはり、そう思えるのです。
そして、仏教の教えでは、人には皆「仏性」が備わっている、仏になる種があるのだと説かれています。苦しみもない仏になる、私の中にもそういう仏になる種がある…。

何も人生に対して深く考えずに生きてきて、自分の欲だけ追い求めてきた私です。そしてそれは今も変わっていないと思います。
そんな「私」が、欲望を追い求め煩悩で出来上がってる「私」が、仏の種を宿している「真の私」、苦しみのない仏になれるはずの「真の私」を苦しめている。

「真の私」を苦しめている「私」。
その「私」を追い払い、消し去ることはできないのでしょう。それは正に自分の「死」を意味します。
では生きている限り、これからも苦しみや辛さから逃れることは不可能なのでしょうか。

きっと、そうなのでしょう。
ですが、苦しむ原因、「真の私」を苦しめている存在が見えてきたことは、これから襲ってくるだろう苦しみや辛さに怯え、耐えるだけの生活から、少しずつ抜け出せていける、そういう希望を感じるのです。

頑張らなくていい~競争心からの解放~

浄土の教えを知り、阿弥陀仏誓願の物語を受け入れて、念仏の暮らしに入ってよかったと思えることはいくつかあります。
その中の一つに、「頑張らなくていい」ということがあります。

それだけ書くと、努力することを放棄して、ダラダラと毎日を送るように受け取られるでしょうか。
そのような意味での「頑張らなくていい」ではないのです。
また、浄土の教えでは「自力」「他力」ということが言われますが、「他力」だから頑張らなくていい、というのとも違うのです。

元来私は、とても競争心が強く負けず嫌いでした。
人に弱みも見せたくないし、自分の弱いところや失敗を指摘されるのが嫌でもあり、またそれを極端に恐れてもいました。
誰にでもそういう面はあるかと思いますが、私の場合は特に強い気がするのです。
若い頃は、それが自分の成長に繋がるのだ、と考えていました。つまり、それは私のいいところなんだ、それは私の向上心の証なのだ、だからこそ、私は特別な存在なんだ、と考えていたのです。
もしかしたら、無意識のうちに、そう考えようとしていたのかもしれません。

しかし、その負けず嫌いの自分が、私自身を追い込んで苦しめてきたように思います。
何かにつけ私は「負けたくない」と反射的に思ってしまうのですが、それはとても苦しいこと、つまり、しんどいことなんです。
思い返せば私自身だけでなく、負けず嫌いからくる私の言動によって、回りの人も苦しめてきたことが多々ありました。

そのような競争心は捨ててしまった方がいいのだ、と何年か前に、ふと気がつきました。
ですが、なくせないのです。なくそうと思っても、余計、自分の負けず嫌いな面が見えてくるだけです。
やはり私は、他の人に様々な面で負けたくないのです。「優秀な自分」でいたいし、回りからも一目おかれたいのです。

そんな私の前に、唯一、競わなくてもいい存在として現れたのが、阿弥陀様でした。
阿弥陀仏の物語を知ると、阿弥陀様には何から何まで絶対に勝てないのだと分かります。
仏教に親しんできた人からすると、何を言っているのだ、仏を競争相手に考えるなど、そもそもそんなことを考えるのがおかしい、と思われるかもしれません。
ですが、若い頃、禅を通して初めて仏教にふれた時に、自分は必ず特別な境地にたどり着いてやる、と思ったものです。
そこまでの強い思いは、年齢を重ねるごとに薄れてきましたが、「特別な境地」に達して、「大人物」といわれるようになりたい、というような思いは、やはり心の根っこからは消えることなく、ずっと残ってきました。
そういう思いは、仏に対しての「競争心」に他ならないでしょう。

ですが、阿弥陀仏の物語を知り、念仏を唱える暮らしを送っている今、阿弥陀様の前では、私は競争する必要を感じません。
何故ならば、阿弥陀仏は絶対的な存在だからです。私の方が全ての面で劣っているし、全ての面で追い付くことなど不可能な存在だからです。

今、阿弥陀様の前に身をおく、つまりお念仏を唱える時間は、私にとってとても貴重な時間になりました。
阿弥陀様の前では競う必要はない、頑張らなくていいのです。相変わらず競争心が強く負けず嫌いの私ですが、その時は競争心からくる苦しみから解放されます。
もちろん、念仏を唱えるようになって、良かったと思えることは他にもあるのですが、このことは、私にとって念仏の大きな利益だと感じています。
まさに阿弥陀様が私を救ってくれているのです。

阿満利麿先生の言葉

仏教の教えに触れていくと、善知識という存在がでてきます。
善知識とは、仏道に導いてくれる人といえばいいでしょうか。いわゆる「教祖」とは違い、仏道を歩む先輩のようなイメージだと思います。

私は今、念仏の生活を過ごしているのですが、私にとっての善知識は誰でしょう。
私は、家族や友人など周りの人から浄土の教えや念仏の意味を教えてもらったわけではありません。教団関係者から勧誘されたわけでもありません。自分で本を読んだり講演や法話を聞き、念仏の生活に入っていったのです。

そういう私の善知識は誰か、と聞かれれば、その一人は間違いなく、阿満利麿先生だと思います。
とは言っても当然、阿満先生と面識があるわけではありません。私は、先生の本を読み、講演を聞いてきただけです。しかし、私をお念仏に導いてくれた人であることは間違いないでしょう。
その阿満先生のお話し中で、印象に残っている、そして私にとって大切な言葉を二つ、書き残しておきたいと思います。

 *   *   *

その一つは、阿満先生の講演を聞き始めたばかりのころです。講演の冒頭で、阿満先生は参加者に、こう話しかけました。

「皆さん、ここにいらしているのは、何か事情があってのことですよね」

その当時の私は、数ヶ月前に離婚をして子供と離別し、事業も上手くいかず破産するかの瀬戸際でした(結局、破産しましたが)。そんな私の現状を、ずばり指摘された感じでした。

私は、若いころから特に何かの宗教に関わったことはありませんでした。二十代のころには禅に興味があったり、十年以上前にはすでに阿満先生の本などから、『歎異抄』には触れてきました。
ですが、私にとって宗教は知識の対象であり、その内容を信じることは出来ず、それに入りこむのは特殊な人達だと考えていました。

そんな私が、プライベートや仕事上の困難につきあたった時、宗教に、自分の救いとこれからの生きる道を求めようとするのは、心の奥底では抵抗があったのです。
そんな時に、阿満先生の講演に足を運びました。そしてそこで、ストレートに、あなたは苦しいこと、辛いことがあったからここにきたのですね、という意味の事を言われたのです。

その時の私は、驚きや困惑でドキッとしました。
ですが同時に気持ちが楽になって、嬉しいような心持ちになったのです。

おそらく、その時の私は阿満先生の言葉を受けて、「そうなんだ、私は苦しいんだ、辛いんだ。そしてそれを乗り越えるのは、自分の力ではどうにもならないんだ」そう、素直に認めることができたのだと思います。
宗教に対しての抵抗、例えば、宗教なんかに逃げないで自分がもっとしっかりしなければ、自分は宗教に頼らなくても大丈夫だ、宗教なんて信じたら変なヤツと思われるかも、などの思いから抜け出た瞬間だったのかもしれません。
その時の講演の内容は過去の記事に書いたと思いますが、今ではほとんど忘れています。ですが、この阿満先生の言葉だけは、今でも覚えているのです。

 *   *   *

二つ目は、念仏の生活に入って二年以上たったころのことです。

その日は講演の後、質疑応答がありました。そこで私は、阿満先生の著書で気になっていたことを聞いたのです。
その本は『無宗教からの『歎異抄』解読』(ちくま新書)という本です。
この本は、宗教の世界に縁がなかった人を対象にした本ですが、その内容は分かりやすく、宗教とは何か、浄土の教えとはどういうものか、的確に示されています。ですから今でも、たびたびこの本を読み返していて、もうボロボロです。

この本の中で、私は次の箇所が心に引っ掛かっていました。
これを読んで私は、「本当なのか?!」と思ったのです。

そしてひとたび阿弥陀仏への本願に帰すれば、「宿業」、「業縁」の自覚は、さらに思いもかけない世界を開く。それは、他者への深い関心が呼び覚まされてくることである。「宿業」や「業縁」の自覚は、他者とのつながりの自覚でもある。
(中略)そのつながりの認識は、他者への無関心を、関心へと転換させる。これが実は慈悲の実践のはじまり、になる。

私は自分の苦しさや辛さからの救いと、これからの生き方を『歎異抄』をはじめとする浄土の教えに求めてきました。そこには他者への関心や思いはありませんでした。そうして念仏をとなえる生活を二年以上過ごしてきても、一向に他者への思いは起きないのです。

いえ、頭では阿満先生の言うことは分かります。
宿業ということを考えれば、自分を他者との関係から切り離して考えることはできません。関係が感じられれば、他者への関心が呼び起こされ、それが慈悲の実践へと繋がっていく。阿満先生の言うことは、とてもよく分かります。

ですが、私には未だ他者への関心が起きず、関心事は徹頭徹尾、私のことなのです。
こんな私の念仏は何かが違っているのか、根本的に勘違いしているのか、実は理解できていないのか、そして、こんな私でも、いつかは他者への関心が起きるのだろうか不安だったのです。その不安な気持ちを話し、阿満先生の考えを聞かせて欲しいと言いました。

阿満先生は、自分一人だけが救われることは不可能だということを例え話を用いて話してくれました。そしてその後、私にとって驚くようなことを言いました。

「あなたがそう思い込んでいるだけですよ」

私はこの言葉を聞いた時、思わず泣きそうになりました。
自分では気が付いていなくても、他者への関心も、慈悲の実践への思いも、私の中で芽生えているのだ、阿満先生は、そう言ったのです。
確かに、「私は他者に無関心だ」と思うこと自体、既に他者への関心があることかもしれません。浄土の教えに触れて、念仏をとなえるようになって、私は少しずつでも変わってきたのかもしれません。

いえ、だけどやはり、今でも私にとって一番の関心事は自分のこと、未だに他者への思いがあるとは思えません。阿満先生のことは信頼していますが、その先生に言われたからと言って、「そうか、私も慈悲の実践へと歩んでいるんだ」などと思えません。
ですが、この阿満先生の言葉は、私が向かっている方向は間違ってはいない、そのまま進んで行きなさい、と勇気づけてくれているかのように感じたのです。