残された人生の生き方を求めて

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

私とピアノ ~再び楽器を手にして~

今回はかなり個人的な内容です。まあ、いつもそうなんですが…。

私はかつて音楽が好きで、20代の頃は自分でバンド活動をしつつ音楽関係の仕事をしていました。といっても、そんなにメジャーな仕事ではありません。一般の人が知らないような裏方的な仕事は音楽業界にも色々あるのです。そして30代から10数年間は音楽学校で働いていました。

弾いていた楽器はピアノ、キーボードでした。好きだったのはジャズですが、ロックやポップスも好きでした。もっとも弾くのはそれほど上手くなかったので、演奏の仕事はほとんどしませんでした。
30歳を過ぎてからは、人前で演奏したり毎日練習することはなくなりました。それでも時々、自分の楽しみとしてピアノは弾いてきました。コード譜を見て、ジャズ、ロック、Jポップ問わず様々な曲を、弾きたいように弾くのが好きでした。

しかし、4年前に、一切ピアノを弾くことをやめたのです。

そのころ私は離婚をして、妻や子供たちがいなくなった家に一人残りました。そうして、一人残された家でピアノを弾いていた時、ふと感じたのです。
私は常に人に褒められたくてピアノを弾いてきたのだ、と。

一人の部屋で弾いている時も、頭の中にうかぶイメージは、人から称賛されることです。そして上手く弾けたら心の中で得意になる、そういう自分が常にいることに気が付いたのです。
人に聞いてもらうことをイメージして練習することは、20代の頃、バンド活動をしていた時には当たり前のことで、むしろそういうイメージを持って、日ごろから練習するのが当然と思っていました。
その癖が染みついてしまったのでしょうか。それとも元々私はそういう人間なのでしょうか。
おそらくその両方でしょうけれど、とにかくそういう自分が嫌になり、ピアノを弾くのをやめたのです。

ピアノが嫌になった、飽きてしまったという訳ではありません。
弾いている自分が嫌になったのです。ピアノに向かうと、そういういやらしい根性の自分が見えてきて苦しくなり、もう弾くのはやめようと思ったのです。
きっと私は音楽が好きで演奏してきた訳ではなかったのだ、そう感じたら、10代のころから音楽に熱中してきたつもりの自分は、いったい何をしてきたのだろうと思いました。

ほどなくして私は事業に失敗して破産しました。
ピアノはもちろん、家も手放すことになり、一人で部屋を借りて暮らし始めました。
その時、安いデジタルピアノぐらいは買おうか、と一瞬考えたのですが、すぐにやめようと思いました。
もう、ピアノは弾かなくていいだろう、私は音楽が好きでピアノを弾いてきたのではないのだから。

やがて新しい街に引っ越して、新しい仕事を始めました。身近に過去の私を知る人はいない中での生活が始まったのです。
私が過去、音楽関係の仕事をしていたこと、ピアノが弾けること、そのことは誰も知りません。また、私も音楽のことに触れる話はしませんでした。音楽の話になればきっと過去の自分を自慢したくなる、そういう自分を見たくありませんでした。だから趣味を聞かれても、音楽に関することは答えなかったのです。

ですが、それでも時々ふと、ピアノを弾きたい、という気持ちが頭をもたげてくるのです。
そのたびに私は、本当に弾きたいのか、それともやはり「オレは弾けるんだぞ」という気持ちが残っているのか、自問自答しました。そして結局、弾くことはしないで過ごしてきたのです。

その後、今から2年半前に自転車で転倒して、左手の薬指を骨折してしまいました。日常生活に支障はないのですが、以前のように左の指は上手く動かなくなり、また左手も大きく開かなくなりました。
ロピアノを弾くときは左手で10度音程、例えば「ド」の音から1オクターブ上の「ド」を越えて「ミ」まで手を広げて押さえたりします。おそらくもう、10度音程はとどかないでしょう。
きっと私に、完全にピアノを弾くことを断念させるために、何かの力が働いたのかもしれない、と思いました。

それでも時々、休日の公園でビールを飲んでいると、何かを演奏したくなり、好きな曲を口笛で吹いたりしました。ですが、口笛もなかなか難しく、かなり口が疲れるのです。上手く吹けません。
そうしているうちに、簡単な楽器でいいから、単音の楽器でいいから、自分が好きだった数々の曲を、もう一度、それこそ人生を終える前に弾いてみたい、そういう思いが強くなってきたのです。

そして悩んだ末、先月、鍵盤ハーモニカを購入しました。
約4年ぶりに手にした楽器でした。
デジタルピアノにはしませんでした。ピアノは、もうかなりのブランクがあるうえ、左手がうまく動かなくなった今、以前のようには弾けないことは明白です。おそらく今ピアノを弾いたら、とても悲しく寂しい気持ちになるでしょう。
また、気持ちも新たに何か新しい楽器を演奏したいと考えたのです。ですが、全く経験がないと、それはそれで大変です。そこで、口で吹くという自分にとって未経験の楽器でもあり、でも鍵盤がついていて取り掛かりやすい鍵盤ハーモニカにしたのです。

集合住宅の自室では、音が出る楽器は演奏できないので、公園や河原で演奏することにしました。
そうすると、また私に不安な気持ちが起こります。
野外で演奏するということは、やはり自分は誰かに聞いてもらって称賛されたいのではないか、ということです。

どうなのでしょう。自分の本心はよく分からないところもあります。
正直、誰かに聞いてほしい、褒められたい気持ちは今でもあります。それは私からなくならない気持ちでしょう。そして、ずっと演奏を続けていけば「オレはこれだけ弾けた、どうだすごいだろう」という気持ちもきっと起こるでしょう。
ですが、やはり「演奏したい」という気持ちもあるのです。

今、公園や河原で、演奏をしています。時には缶ビールを片手に。
自分の心に「お前は本当に弾きたいの?」「嫌な自分が見えたらやめちゃいな」と語りかけながら演奏しています。
以前は、一人で演奏(練習)しているときも、ミストーンやテンポの狂いを気にしていました。でも今は、そういうことも気にしません。大げさに聞こえるかもしれませんが、これが人生最後の演奏になるのかもしれない。そんな時に、ミストーンなんて気にしていられません。
そういう気持ちで演奏していると、とても気持ちが楽で、楽しいことに気が付きました。
もっとも、聞いている人からすると、ミスが多い演奏は聞いてられないでしょうから、迷惑にならないよう出来るだけ人のいない場所を選んで演奏していますが。

私と楽器の新しい付き合い、そしておそらく人生最後の付き合いが始まりました。
嫌な自分が現れたらすぐに演奏をストップしようと、自分の心を確認しながら私は楽器を手にしています。

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』を読んで(その2)

(その1からの続き)

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こんなことを書くと、私が随分と格好のいいことを書いていると感じられるかもしれません。「弱者の味方」を気取っていると感じる人もいるかもしれません。
ですが、今ここに私が書いていることは、私自身の体験から、正直に感じていることです。

過去の記事でも何度か触れましたが、私は数年前、破産、離婚、子どもとの別れを体験して、多くのものを失いました。そこで初めて、気が付いたのです。
自分も他人に対してひどいことをしてきたじゃないか、他人を踏み台にして自分の成功や利益を追求してきて、いい思いもしてきたではないか。そして、今度は自分がすべてを失う立場に立たされているのだ、と気が付いたのです。

かといって、今の自分は、他人の痛みが分かる人間になりました、人を踏み台にするような人間ではなくなりました、とは思えません。
自分の失敗を通して、人を踏み台にしてきた過去の自分の在り方を知らされたといっても、「心を入れ替えて、今の私は変わりました」などとは言えません。きっと今の私も、そういう在り方をしているはずです。
なぜなら、過去の私も「人を踏み台にして、自分のやりたいことをやり、欲しいものを手にしてやる」などと考えていたわけではないからです。

おそらく私は、そういう在り方しかできないのでしょう。
いえ、人が生きるということ、もっと広く言えばあらゆる生物が「生きる」ということは、他の存在を犠牲にして、踏み台にするしかないのではないでしょうか。
そして、そういう在り方は、いつか必ず自分の苦しみになって帰ってくる、と私は自分の失敗体験から感じました。いくら順調に物事が進んでいても、いつか今度は自分が他の人から踏み台にされ、あらゆるものを奪われることになります。
生きていくことは、奪い合いの中に身を置くこの苦しさから逃れられないのではないでしょうか。

私が失敗と挫折から気が付いたことは、そういうことなのです。
そして、その苦しみからどう抜け出せるのか、奪い合いの中からどう抜け出すのか、抜け出せないならば、そこからくる苦しみを少しでも和らげることはできないのだろうか。
その答えを求めるなかで、宗教に、私の場合は「念仏」に出会いました。

この本、『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』には、そのような苦しみから抜け出す問いかけはありません。
繰り返しますが、この私の指摘は、この本の主題から外れている気はします。
ですが、この本は「科学」と同時に「宗教」も対象としています。「宗教」を対象とする以上、私が指摘している内容も無関係ではないと思うのです。

*    *    *

もう一点、気になることがありました。
田坂氏は冒頭に、「科学」と「宗教」の間にある深い谷間に、「新たな橋」を架けること、を願いとしてあげています。
しかし、なぜ「科学」と「宗教」に「新たな橋」が必要なのか、なぜ著者はそれを願っているのか、その真意は最後まで伝わりませんでした。

この会が行われた法然院で、以前、阿満利麿先生の講演を聞きました。その講演で阿満先生はこういう意味のことを話されました。その時の講演は過去の記事に掲載しました。

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その時の言葉はこのようなものでした。

私たちは生きていく根拠が欲しいのだ。これさえあれば生きていける、そういうものが欲しいのだ。仏教にはそれがあるはずだ。

「これさえあれば生きていけるもの」という言葉の重さが、今でも心に残っています。
仏教をはじめとする宗教には、きっと「これさえあれば生きていけるもの」があるはずです。いや、それが欲しいからこそ、宗教に近づくのでしょう。
この「これさえあれば」というものは、お金ではない、地位や名誉でもない、家族でも、友人でもない。それらはいつかすべて消えていくものです。消えないもの、そして永遠に私を支えてくれるもの、それを求めた結果、私は宗教に近づいたのです。

田坂氏の「新たな橋」を求める動機は、どこにあるのでしょう。
私はこの本からは、「これさえあれば生きていける」ものを求めるような、必死の問いかけは感じられませんでした。著者が「新たな橋」を見つけなければいけない、という切実な気持ちは伝わりませんでした。

先ほども書きましたが、これが科学だけに関する本ならばいいのです。私がこれまで読んできた科学関連の本にも、常にこのような「必死の問いかけ」があったわけではありませんし、そもそも、そういう内容を求めて科学関連の本を読むことはないでしょう。
ですが、繰り返しますが、この本は「科学」とともに「宗教」を取り上げています。それならば、そこには「これさえあれば生きていける」ものを求める切実な思いがあるはずだと思うのです。

こうなると、私が考える「宗教」と、田坂氏が考える「宗教」は違うのだ、という意見も聞こえてきそうです。そうかもしれません。でもそうだとしたら、この話はこれで終わりになります。

*    *    *

今回の会の参加者からは、内容に疑問を訴える声や、批判的な意見も上がりました。それらの様々な意見や感想の中から、この本をあえて題材に選んだ法然院住職はすごい、という声が上がりました。
確かにそうです。私も批判的な感想を書きましたが、この本を読むことによって、改めて、私にとっての宗教とは何なのだろうか、と考えさせられました。それを見こして、あえてこの本を選んだのだとしたら、本当に法然院のご住職はすごい、と感じます。

この本は宗教的な側面からすると、首をかしげざるを得ないところもあると思います。ですが、私にとって宗教とはなんだろう、という疑問に改めて向き合うきっかけを作ってくれました。
興味がある方は、ご一読ください。

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』を読んで(その1)

少し前になりますが、京都の法然院で、『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』(田坂広志=著 光文社新書)という本を題材に、意見を述べあう集まりがあり、参加してきました。
事前にその本を各自読んできて、感じたことを話し合うのです。今回、対象となった本のタイトルに引かれたこともあり、書籍を購入して参加しました。

様々な意見や感想が出され、その中で私も自分の感想を述べさせてもらいました。
元来、人前で話すのが苦手なため、しどろもどろでしたが、一応自分の感想を述べました。そして、改めて自分が話したことを振り返ると、今一度、自分の考えを整理して書き留めておきたいと思い、このブログの記事にすることにしました。
私はどちらかというと批判めいた感想を述べたのですが、一方でこの本をきっかけに、大切なことを考えさせられたからです。
(なお、長くなったため2回に分けました)

*    *    *

批判めいた、と書きましたが、内容そのものは、なるほど、と思わせてくれるものでした。
この本の概要は、ある科学的な仮説を元に、私たちの「意識」が、死後どのようになっていくのかを解き明かすものです。
その元となる仮説を極めてザックリ書くと、宇宙には「ゼロポイントフィールド」という「場」があり、そこにはこの宇宙の出来事のすべての情報が記録されている、という仮説です。その情報には個人が思ったことも含む、あらゆることが含まれます。そして私たちの意識は、「量子レベル」で、それら「ゼロポイントフィールド」の情報にアクセスすることができます。
その仮説にたてば、「予知」「直観」などの不思議な現象は、「ゼロポイントフィールド」に私たちが無意識の領域でつながったからだ、と説明できます。さらにその仮説からは「臨死体験」「死者との交信」なども説明でき、私たちの意識が死後どうなるのかも導き出せるのです。
これだけ書くと、なにか胡散臭いと感じるかもしれませんが、本の中では科学的な説明も行われています。

このブログで度々書いてきたように、私は、量子力学不確定性原理、また宇宙の誕生などに興味がありました。もちろん素人のレベルですが、そういう私の知識からすると、この「ゼロポイントフィールド仮説」は、十分にあり得ることに思えました。

そして、この「ゼロポイントフィールド仮説」によれば、浄土や阿弥陀仏の存在も説明できるのではないかと思い、驚きました。
『大無量寿経』に書かれている、阿弥陀仏の本願の説明もできてしまう印象を受けたのです。
例えば第五願、極楽浄土に生まれたら、自分の前世も含めた全ての過去を知ることができる「宿命通」を得られる。また第八願、極楽浄土に生まれたら、あらゆる仏国土の人々の心を知り尽くす「他心通」を得ることができる。それらの、極楽浄土に往生したら得ることのできる不思議な力も、ゼロポイントフィールドに蓄積された情報にアクセスすると考えれば、説明ができるのです。

しかし、このように私にとって「なるほど」と納得できる内容なのですが、私が感じたことは、むしろ否定的なものでした。

*    *    *

この本の中には、著者の田坂氏が体験した過去の不思議な体験、「予知」や「直観」に基づく体験がいくつか書かれています。そして、それらが「ゼロポイントフィールド」につながった結果として、仮説をもとに説明されています。(以下は、あくまでも著者が「仮説」をもとにして考えたことです)

例えば、田坂氏は大学受験時の合格体験をあげています。
田坂氏は、体調を崩し絶望的な状況で入試当日を迎えたのですが、試験直前に見直した内容が試験に出て、合格することができたのです。
「ゼロポイントフィールド」につながることによって、あらゆる情報を瞬時に得ることができます。それにより無意識のうちにも未来を予知して、自分が望んだ行動を取ることができる。つまり、運気を引き寄せることができる。そのような著者の不思議な体験が列挙されています。
そして、『直感を磨く』という田坂氏の別の著書では、「ゼロポイントフィールド」につながるための「心の技法」に触れているそうです。

しかし、私にとって、どうしても引っかかる点がありました。
「ゼロポイントフィールド」につながるために「心の技法」をみがく、その結果「ゼロポイントフィールド」につながれば、運気を自分に引き寄せることができる。
既に書いたように「ゼロポイントフィールド」自体は、私からすれば納得できる仮説です。
しかし、そもそも運気を引き寄せるとは何でしょう。

それは、自分の希望を叶えるため、つまりは自分が成功するためのものではないでしょうか。
そして自分が成功するということは、その陰には競争に敗れ、失敗して挫折していく人がいるはずです。厳しい言い方をすれば、人を踏み台にしていく手段を手に入れることが「心の技法」をみがき「ゼロポイントフィールド」につながることなのか、と感じるのです。
例にあげていた合格体験にしても、田坂氏が合格したことによって、確実に誰かが不合格になっているのです。運気をあげて大きな仕事のチャンスを手に入れたその影には、そのチャンスを逃してしまった人がいるのです。

今私が指摘したことは、この本の主題から外れているのかもしれません。
著者がこのような私の感想を聞いたら、「いや、そもそも、そういう内容の本ではないから」「それならば、私が書いた別の本、『○○○』を読んでから意見して欲しい」と言うかもしれません。
この日の参加者の中に、この著者の他の著書もたくさん読んでいる方がいました。その人の話によると、別の本では、運気が悪くても最終的にはそれらも全て引き受けていくことに結論が導かれているそうです。そうなると、私の指摘は一面的なのかもしれません。
ですが、この本の内容は、あまりにも、自分の成功の裏には多数の人の挫折があるという事実を置き去りにしているように思えました。

(その2に続く)

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『『歎異抄』講義』阿満利麿

これまで度々記事に取り上げさせていただいている、阿満利麿先生の本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)について書いてみます。
この本を手にしたのは、もう半年近く前です。すでに何度か読み返していて、読むたびに私に沢山の学びや気づきを与えてくれます。

内容は、公開講座「『歎異抄』を読む」をまとめたものになっています。
阿満先生の講義を原稿に起こしたもので、参加者との質疑応答や感想なども収められています。
ですから、『歎異抄』について、また浄土の教えについて、順序立てて書かれている「解説書」という感じではありません。
もちろん内容は『歎異抄』の序文から順を追って進められるのですが、いわゆる通常の『歎異抄』の解説本とは趣が異なります。

阿満先生は『歎異抄』に関する本を何冊か出版されています。その中で、阿満先生の訳・解説による『歎異抄』(ちくま学芸文庫)を私が読んだのは、もう何年も前のことで、その中で気になっていた箇所がありました。
阿満先生は、現代人の本願念仏に関しての無関心について触れ、それついてこのような言葉で結んでいます。

では現代人のための本願念仏への通路はどこにあるというのか。それに答えることは本書の役割を超えているので別の機会を待ちたいが、少なくとも、人間存在の「危うさ」と現代社会の根源的差別が重要な指針だと思っている。

この「別の機会」というのを私は待ち望んでいました。
「人間存在の「危うさ」と現代社会の根源的差別」については、阿満先生の著書の中で、度々触れられています。ですが私は、本願念仏に出会う過程について、さらに踏み込んだ内容に出会いたかったのです。
そして『『歎異抄』講義』を読んだとき、私が待っていた本が出版されたと感じました。

といっても、阿満先生が「現代人のための本願念仏への通路」を明らかにしたいという意図で、この講義を行い、この本を出されたわけではないでしょう。また、直接結びつくような記述があるわけではありません。
ですが私は、一人の人間が本願念仏に出会い、それと共に生きていくことがどういうことなのか、この本から感じ取りました。これまでの阿満先生の著書からは、一歩踏み込んだ内容に思えたのです。

ですから『歎異抄』に初めて触れる人には、なかなか理解できず、逆に宗教や本願念仏に対して距離を感じてしまうかもしれません。そうような人にはまず、阿満先生の書かれた『無宗教からの『歎異抄』読解』(ちくま新書)をお勧めします。

以下に『『歎異抄』講義』から少し引用し、紹介します。

自分の思うように生きてきた、という人の背後にはどれだけの人が迷惑を受けて生きてきたか。他人の様々な生き方を蹴飛ばして、自分の生き方を主張してきた。程度の差はあれ、それが人間の生き方というものです。智慧のなさ、愚かさが自我を想像以上に肥大化させています。

ここを読んだとき、まず今は亡き父母のことを思いました。今更、申し訳ないなどということもできません。

念仏は私の中で阿弥陀仏がはたらく姿です。南無阿弥陀仏と私が称えることを除いて阿弥陀仏はどこにも存在しません。私を摂取不捨の中に連れて行くはたらきが阿弥陀仏です。阿弥陀仏の本質は、私たちに真理への回路を持たせるということです。

阿弥陀仏誓願を信じて念仏申さんという気持ちがほんのわずかでも起こった時に、私たちはすでに阿弥陀仏に摂取不捨されているのです。私たちは煩悩に覆われているためにそういう心が起こることは非常に稀です。それだけに、めったに起こすことのないような心を起こした瞬間に真理への回路が出来上がるのです。
(中略)
念仏の回数が増えていってある時、またぱたっと念仏をしなくなることもある。楽しい暮らしが続き、念仏のことなど忘れてしまっても、またいつか念仏をするようになります。一度出来た回路はきちんと生き続けます。そういう回路を作るのが念仏の行為なのです。観念だけでは、そういう回路は出来ません。自分が念仏することで回路が出来ます。

「回路」という表現に深く納得できました。

「信心」は、阿弥陀仏の物語を聞き、それが自分にとって必要不可欠なものだとして、選択するという意味です。単に、神仏をなんとなく信じる、ということではありません。阿弥陀仏の本願が、自分にとって必要不可欠だという決断を前提としています。

そうです。だから私は念仏を称えるようになったのです。

念仏する暮らしは、自然(じねん)に、という点にあります。何か強迫観念のように、これをしなくてはいけないと考えると、道徳的な実践になってしまいます。宗教的実践は、おのずと放っておいても出来るということが大事なことです。(中略)苦しかったり強迫観念に駆られるくらいなら、布施などやらなくていいのです。宗教は私たちの心を自由に豊かにするものであって、強制や自分の心を縛る形になるのなら、宗教心ではありません。

宗教的な救いとは、きっとここにあるのでしょう。

この本には、貴重な言葉が沢山収められています。これから時を変えて、何度も読み直すことと思います。

最近の出来事から(その2 念仏の利益)

その1の続きです。

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ほんの少しでも、空しい一日で人生が終わらないように心がけたい。そう思い、今回の件について、自分の意見をこれ以上主張するのはやめようと思いました。
そう思えるようになって、気持ちが落ち着いてくると、また新しい見方も生まれてきました。

今回の件も、結局は自分の都合でしかないのです。
私は雑用反対派の人に対して、雑用を引き受けなければ誰かが首になってしまう、みんなの収入も減ってしまう、と話しました。また、会社から提示されているのに、なぜ従わないのか、と不満にも思いました。
ですが結局、私の収入が減ってしまうことが私にとっての問題なのであり、私の主張はそういう自己都合から出たものだったのです。
そして、雑用をしたくない人も、その意見は自己都合からのものです。私もみんなも同じなんです。

また私は、こうも考えていました。
私たち契約社員が清掃をしなければ、会社は外部の清掃業者に委託することになるかもしれない。そうなれば会社にとっても経費が増えてしまい、会社のためにも私たち契約社員が雑用を引き受けた方がいいのではないか。
ですが、私が心から会社のためを思っていたのかは疑問です。
やはり私は、自分の損得を考えて、それを正当化するために、この方が会社にとってもいいことなんだ、と考えた気がします。

また仮に、清掃業務を外注することになったら、確かに私たちの収入は減り、会社の負担も大きくなるかもしれません。ですが、委託された業者とそこで働く人たちは仕事が増え、収入も増えていくわけです。その人たちにとってはプラスなはずです。
結局、誰かが泣けば誰かが笑い、誰かが損をすれば誰かが得をする、その道理が現実生活の中で繰り広げられるだけのことです。

同僚との会話の途中で「妙な感覚」を感じた別の一因は、ここにもあるのかもしれません。
自分の主張していることは、実は単なる自己都合から起きていて、同僚たちや会社のためにという思いからではないのです。
そして、そのことに自分も心の奥底では気が付いていた、そういうある種の後ろめたさも感じていたからこそ「妙な感覚」に襲われたのかもしれません。

とは言っても、私自身の収入が減ってしまうのには、やはり不安や抵抗はあるし、その心まで消し去ることは難しいでしょう。
ですが、今回の件について、私はすでに自分の意見は周りに話しました。これ以上、自分から何かを言う必要はないと思えるのです。あとは、なるようにしかならないのですから。
その1でも書きましたが、そう思えるようになって、むしろ心が軽くなった感じがしたのです。

*   *   *

こういうことに気付いて考え方が変化して、心が軽く感じられるようになるのは、やはり念仏の利益なんだと思います。
ここで念仏を出すと、読んでいる人は「?」と思うかもしれません。
私がこの記事で書いた内容は、別に念仏を唱えなければ分からないことではありません。
ですが、同僚と話しているときに「あれ?何か違う…」と気が付くことができた、そのことが私にとっては大きいのです。

10年前、私はすでに『歎異抄』を通して、浄土の教えを知っていました。ですが、念仏はまだ唱えていませんでした。
そして今思い返すと、そのころの私は日々、自分の主張をいかに通すか、どうやってあの人を説得するか、いかに自分に有利な状況を作れるか、そのことばかり考えていました。もちろん、それが自分のため、そして周りのためにもなると思っていたのです。
そして振り返った今、そういう日々は決して楽しい日々ではなく、常に心に焦りや不安を抱えていたように思います。
その当時の私は、仏教や浄土の教えを知識としては知っていても、それが日々生きていく中には生かされていなかったのでしょう。

私は今、毎日念仏を唱えています。
念仏を唱えると、阿弥陀仏が建立された浄土、つまり私が目指すべき真に苦しみのない世界はどのような世界なのか、そして私自身の今のありかたはどうなのかを意識せざるを得ません。
10年前の私ならば、今回の出来事で、このような考えに至ることはなかったでしょう。おそらく、いかにして雑用反対派を説得するかで頭がいっぱいになっていたはずです。
そして、その言い争いや駆け引きの中で、さらに心は重く苦しくなり、不安は増していったと思うのです。

まさに、阿弥陀様が救ってくれたのだと思います。

最近の出来事から(その1 ふと感じた「妙な感覚」)

最近、少々心を悩ます出来事があり、それに関連して思ったことがあります。ちょっと長くなるので、その1、その2に分けてみました。

*   *   *

私は今、契約社員として働いています。業務内容は、いわゆるブルーカラーの仕事です。度々書いているように、私は3年前(2023年2月現在)事業に失敗して、その後いくつかの職場を経て、2年ほど前に今の仕事に就きました。
今の仕事は給与が時給で計算されます。ですから契約社員といっても、アルバイトと大して変わらないかもしれません。
ですが、今の職場は周りに気さくな人が多く、ストレスも少ないので、収入は決して多くはないのですが満足しています。

ところが、困ったことになりました。
数ヶ月前に新しい人が入社してきました。そしてさらに、最近になって一部業務が廃止になったのです。つまり人が余ってしまっている状況になったのです。そして当然、個々の勤務時間が減らされました。
私たち契約社員は時給で働いていて、残業分も大きな収入だったので、今回の事態は私にとってかなり大変な出来事です。
しかし会社側も、そこは理解してくれたみたいで、本来の業務以外も行う案が提示されました。平たく言えば雑用で、例えば最近新しく完成した新事業所内の清掃作業などです。
私にすれば、勤務時間を減らされて収入が減るより、雑用でもなんでも、仕事をさせてもらえれば嬉しいのです。

ですが、一部の契約社員の人からは、それに反対する意見がでました。
なぜ自分たちが本来の業務以外の仕事もやるのか、しかも清掃など自分たちがやる必要はない。仕事が減って早く帰れるなら早く帰りたい。わざわざ残って、関係のない業務までしたくない、などの意見です。
一方で、雑用をやらなければ、人が余っている状況なので、何人か契約を切られるかもしれない、という噂も流れてきました。

連日、同僚の間でも、この話題が上がっています。
私は勤務時間を確保してほしいので雑用賛成派です。ですから「雑用も引き受けなきゃ、誰かが首になるかもしれない」「掃除を断ったら、収入が激減するよ」と、雑用反対派の人と話しをしました。

ですが先日、その話を同僚としている時、ふと妙な感覚に襲われたのです。違和感と言えばいいのでしょうか。簡単に表現すると、このような感じです。
「いったい自分は、何を話しているんだろう」

その日帰宅し、その時感じた「妙な感覚」について考えました。

*   *   *

仏法を聴聞する中で、人の命はいつ尽きてもおかしくない、という話を何度も聞いてきました。明日も生きているという保証はありません。いえ、一時間後も生きている保証はないのです。
なかなか自分のこととして、そうは思えないのですが、否定できない事実です。
今日が人生最後の日かもしれない。もしそうだとしたら、その最後の日に私が考え、心を奪われていたことは、勤務時間が減って収入が減ることであった、ということになります。

私はこれまで60年近く生きてきました。私にとっては長い長い旅でした。
楽しいことも沢山ありました。辛いことも思い出されます。色々なことをやりました。多くの人たちと出会いました。その時々に様々なことを考えて、苦しみもがき、よろこび笑って、ここまで生きてきたのです。
そしてその人生最後の一日に、勤務時間が減って収入が減ってしまう問題に心を奪われ、そのまま死んでいく、それでいいのだろうか。勤務時間の問題は、そこまで大きなことなのだろうか。
そう考えたら、今日一日が、とても空しいものに感じました。

会話にしてもそうです。
これまで生きてきて、様々な人と出会い、会話をしてきました。記憶に残っていない、日常的な内容がほとんどですが、若いころ友人と真剣に語り合ったり、恋愛しているときには自分の思いを緊張しながら伝えたりしました。最近では、仏教について人と話す機会もあります。
そして、人生最後に人と交わした会話が、勤務時間の問題だとしたら、これほど寂しいことはないでしょう。

私が感じた「妙な感覚」とは、そういう思いが心の奥底から働きかけてきた結果な気がします。

私はもうこれ以上、このことを話すのはやめよう、と思いました。もちろん意見を求められれば自分の意見や要望は伝えるにしても、こちらから話題にあげたり、誰かを説得するようなことはやめよう、と思ったのです。
すると、勤務時間が減る問題は消えはしませんが、少しだけ心が軽くなった気がしました。

人生最後の一日を、もっと心が穏やかに過ごせて、できればその一日に何かしらの意義を感じられればありがたいことです。
もちろん、そう上手くいくとも思っていません。むしろ、そういう心穏やかで充実した気持ちのタイミングで「死」を迎えられる確率は、かなり低いでしょう。私には、日々の生活があり感情がある、つまり煩悩具足の凡夫ですから。
それでも、ほんの少しでも、空しい一日で人生が終わらないように心がけたい、そう思うのです。

(その2に続く)

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私は、生きたい

今日は2022年の大晦日です。
晦日だからといって、私にとって何か特別なことがあるわけでもなく、日々の生活の一日に過ぎません。
とはいっても、やはりこの一年を振り返ってしまいます。
その時ふと気がついたのですが、このブログを始めて三年が過ぎたのです。最初の記事をかいたのが2019年の10月です。

私はこのブログを始める前にも、自分の趣味に関するブログをいくつか開設していましたが、実は三年以上、更新を続けたブログはないのです。
途中でネタが尽きてしまったり、関心事が変わったりして、閉鎖したか、今も存在しているにしても更新していなかったりします。
我ながら、根気のなさに情けなくなりますが、このブログはそんな私でも三年続いています。
もっとも、更新頻度はとても低く、ご覧の通りではありますが、途絶えそうで途絶えずに続いてはきました。
「頑張って継続しよう」と考えてきたわけではなく、そういう姿勢がかえってよかったのかもしれません。

この三年間を振り返ると、様々な生活の変化もありました。
最近の記事で度々触れていますが、このブログを始める少し前に私は離婚して子供たちとも離れました。そしてその翌年には事業も行き詰まり、破産したのです。
その後、今住んでいる街に越してきて、新しい仕事に就きました。
そして、この三年間で、何よりもの大きな変化は、念仏の生活に入ったことでしょう。

今回、過去の記事をいくつか読み返してみました。
読み返していく内に、改めて私はなぜ念仏を唱えるようになったのか、考えました。

このブログを始めたころの私は、家族、仕事、財産、人間関係など、あらゆるものを失い始めていたのです。
以前の記事で私は、同じ状況で自死を選択する人もいるのではないか、と書きました。ですが私にとって、自死は考えられませんでした。
そして、その記事で、私が自死を選択しない理由に一つに、娑婆への未練ということも書きました。

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ですが、本当にその当時の私は、自死を考えていなかったのでしょうか。
今思うと、そうではなかったように思うのです。いえ、「死」の選択ではなく、「生」の否定に心が傾いていたように思います。

「死」の選択と、「生」の否定は同じことと思われるかもしれません。ですが、少し違うのです。
積極的に死にたいわけではない、だけど生きていく気持ちになれない、そういう感覚です。
そして今現在も、以前ほどではないにしても、「死にたいわけではない、だけど生きていく気持ちにもなれない」という状態は変わっていない気がします。

この「生きていく気持ちになれない」というのは、「生きていくのいやだ」という感じとは少し違います。
その感覚は、どう表現すればいいのでしょうか。

「生きていても仕方がない」と言い換えることもできます。
感覚としては違うのですが、考えていることは近い気がします。
もう何かやりたいことや、欲しいものも思いつかない、そういう状態ではあります。

「生きていてもいいのだろうか」とも言えます。
感覚的にはこれに近い気がします。
生きていく意味、意義もないままに、ただ呼吸をして、心臓を動かして(勝手に動いているのですが)、食べて寝て時間を過ごしていく。こんな状態で生きていてもいいのだろうか。

別に誰かに生きている許可を求めているわけではないのですが、こんな状態では、生きていても意味はないのではないか、という感覚です。
意味がない自分の「生」をこのまま継続していってもいいのだろうか、そういう感覚は当時の私には確かにあり、かつて程ではないにしても、その感覚は今も継続しているのです。

積極的に死にたいわけではない、だけど生きていく必要も感じない。
ですが、実際に私は自死を選ばなかった、そしてその理由を三年近く前の記事に書いたわけですが、今思うと、私が自死を選択しなかった根源的な理由は、もっとシンプルな気がするのです。
私の気が付かない、つまり無意識の領域で、やはり私にはシンプルに「死にたくない」「生き続けたい」という気持ちがあったのではないか、と思うのです。

私は、生きたいのです。

そういう私に、「生きていていいのですよ」と、阿弥陀様はそう語りかけている、そう感じ取ったから、きっと私は念仏を唱え、今も生きているのです。

歎異抄』の第九章には、こうあります。

また浄土へいそぎまいりたきこゝろのなくて、いさゝか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこゝろぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだむまれざる安養の浄土はこひしからずさふらふこと、まことによくよく煩悩の興盛にさふらふにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこゝろなきものを、ことにあはれみたまふなり。

いそぎまいりたきこゝろなきものを、ことにあはれみたまふなり。

「生きていてもいいのだろうか」と思っても、生きていたいのが私です。
そして、阿弥陀様は「それでいい」と言ってくれているのだ、と親鸞聖人は教えてくれたのではないでしょうか。